◆悪魔の花
「いわゆる『マザー』のようなものが存在すればと思いましたが」
ジェイド・ナイトノイズ(
tk3078)が嘆息する。見渡す限りの花、花、花。
初めて悪魔の花デュルガーウィードが発見されたのは、スラヴォ。農村のキビ畑であったという。
だが発生源たる大きな株や根は見つかっていない。
では、その成り立ちは。
「カオス‥‥なんやろねぇ」
「ええ、恐らくはこの花もカオススポットが原因かと」
アルフェリア・ルベライト(
tk6928)が遠くを見ながら呟けば、バムクエル・オスト(
tg3938)がそれに賛同する。
カオススポットに植物が触れて歪み、毒々しい花となったのだろう。
「根っこごと掘り起こしてもダメなんかな」
「恐らく」
バムクエルが頷いた。人や獣に咲く時点で、根を伸ばしていることが繁殖の切っ掛けとは思えない。
恐らく花粉か種子が飛散しているのだ。地続きでない場所にも咲く可能性は大いにある――シェーン・オズワルド(
ti5753)が片眉を跳ね上げた。
元凶に銀弾を撃ち込もうと思っていたが、それは果てしない数だ。
「命を奪って咲くとは醜悪な花ですね」
まったくもって度し難い。殲滅できる可能性があるから予定どおり大きな花に銀弾を打ち込むつもりではいる。だが、弾がもつかどうか。
「進みましょう。カオススポットを封鎖しない限り、また新たな品種が生まれかねません」
バムクエルが先を促す。
行く前に、いま目の前にある分は全て焼いてしまおう。アルフェリアがファンシェンスピアを構えると、その刀身から炎が噴き出す――。
視界の端に虹色が見える。一瞬のそれを見送った後、そこには焦げた臭いと風に揺れる作物だけが残されていた。
「上手く行ったね」
ヨーリィ・バルタザール(
tj0206)がペガサスのパッパカにプリズマティクフィールドを頼み、リャマ・イズゥムルデ(
td7895)とルタ・バクティ(
tk8199)が全てを焼く。
現実世界に戻れば目論見どおり作物だけが残されるというわけだ。
「後は、吸い込んでいなければ」
そう語るリャマの声はくぐもっている。
彼らは鼻口を濡らした布で覆っていた。一足早くこの脅威に触れた仲間たちがそうしていたところ、花が咲かなかったと聞くから。
「経験が生きたな」
ペガサスのパッパカは鼻口が大きいため覆う箇所が広く、居心地が悪そうだ。時折、布に隙間ができてしまう。
ヨーリィは不安で胸をざわめかせた。裁縫道具や特別なマスクがあるわけではない。立体的な馬の口を、綺麗に覆うのは難しかった。
精霊にも花は憑くのか、分からないけれど。
(どうか無事に――)
祈り虚しく。
その日、純白の鬣の隙間から、赤紫の花が生えた。
悪魔の花に触れた者は意識を乗っ取られてしまう。憑依の亜種か、それともコア傀儡の一種なのだろうか?
理屈によって対処が変わる。だから、ポーレット・ドゥリトル(
tj5975)には試してみたいことがあった。
「ポーレット殿――!」
作物に付いた花を焼却していた彼女の耳へ、咆哮のような大音と共に地響きが届く。
音の源は大きなドラゴンだった。遠く駆けてくるそれは、どうやらルタであるらしい。背に何かを乗せ、緊迫した空気を醸し出している。
「花が、咲いた」
患者が乗っているらしい。まるめた首へポーレットがよじ登ると、そこにはぐったりと身体を投げ出した4つ足の精霊がいた。
「任せろ」
すと手を伸ばし、魔法を成就させる。
試したいこと、それはアフリックの時と同様、アンチジャックが効くのかどうか。
ポーレットの指の先で、白馬からぽろりと花が落ちる。
「よかった!」
パッパカの首にしがみつくヨーリィ。隣のリャマも心なしかほっとした様子を見せている。
「3人にもアンチジャックを掛けておいた。1日間は安心していい」
力強く言い切るポーレット。アンチジャックで無効化できるということは、予防できるということでもある。
悪魔の花対策に当たるドラグナーたちは、効率を考えて広く分散していた。
「私はこの村に留まる。花が憑いたら来いと、皆に伝えてくれないか」
頷くヨーリィたち。
ポーレットがいる村は大きな街へ繋がる道の近くにある。悪魔の花は駆除したし、大きな街からも少し離れているために患者を連れてきたとて被害の拡大はないだろう。治療拠点にはもってこいだ。
念のためにパッパカへネッカチーフをしっかりと巻き付けながら、ポーレットは再度言う。
「私が治せる。だから、安心していいんだ」
力強い言葉は安心を運ぶ。
「――なるほど」
ミハイル帝領に赴いたロージア・メルカトル(
tj1921)とヴァイス・ベルヴァルド(
tk5406)。
彼らは悪魔の花に対して適切な対応を行っていた。ただ、最低限であり同時に限界でもあったが。
花が咲いた者を隔離し、救いを求める民は極力保護し、食料を分け与えるべく尽力している。だが細部まで行き届いているとはいえなかった。
ヴァイスは医者の数と所在を問うたが、この混乱の最中では、殆ど確認ができていない。医者は各自の判断で患者を救っており、献身的な者から病を移され倒れていく。ミハイル帝が擁する医師もそう多くはない。
花を殺した後で生き返らせても、残った根を除去するのは難しそうだ。
「参考に、お読みください」
エミリア・ユーリ(
tk5497)が書き連ねた悪魔の花への対策を手紙として渡すと、入れ替わりにロージアが口を開く。
「ドミトリーは自ら滅びました」
国体と権威を守らず民と主権をウニオンに明け渡した、その時点で帝としては死んだも同じ。そう、ロージアは主張する。
「今の苦境に特効薬は御座いません、けれど必ず我らドラグナーが光を掴みますわ」
だから、ミハイル帝は民の希望として立ってほしい、と。
ロージアが提示したのは、15日間のロージア自身の尽力。帝であるミハイルを守り、ドラグナーとしての立ち位置から助言をすること。これをミハイル帝は、感謝とともに受け入れた。
ヴァイスが付け加える
「僅かながら食糧を提供させていただきたい。間もなく私のフロートシップが、積荷とともに到着します」
「感謝する」
「――もしミハイル帝が望まれるのであれば、ドミトリー側にも配布しましょう」
ヴァイスの持ってきた量で全てを賄えるわけではないけれど、同じように苦しむドミトリー側の民を、幾らか救うことができるだろう。
それはオートマタへと変わる者が減ることをも意味する。ミハイル側につけば機械人形にならずとも生きられる、という希望にも繋がろう。
だが。
「できぬ。全て我が民へ提供してもらいたい」
人道的にそうすべきでも。こちらに理のある話であっても、できない。
それは――そうだろう、とヴァイスも思う。
「非難はあろう。だが、それでも私が守るべきは自国の民なのだ」
一国の長としてそれは正しい話だった。
その後、ヴァイスとミハイル帝、重鎮たち、そしてロージアは話し合いを重ねた。
この季節の風向き、避難地域の近くに花はないか。オーディアからの援軍たちも話し合いに加わり、今後の花畑の焼却計画に関して口々に意見を述べる。
「ヴァイスさん」
その最中、ふと外で待っていたエミリアが会議室の扉を叩いた。
「城下町が騒がしくて花憑きを見かけた人がいる、と」
人々の噂を辿って走れば、確かに花憑きは街外れを歩いていた。
ぎろりとこちらを睨みつける花憑きの男。
「一体、どこから種子が飛んで来たのか」
旅人、輸送される食糧、駆除に回った人間の衣服。考えられることは幾らでもあった。
すかさずシュルズを成就させるヴァイス。宿主の命を奪うことにもちろん抵抗があったが、花から救うためと割り切った。
命を絶たれ、倒れる男。枯れ落ちた花をヴァイスがむしり取ると、エミリアの連れたケツァルコアトルがクローニングを施した。
だがその夜、フロートシップから食料を降ろす作業の最中のことだ。
「エミ、リア?」
視界に映った恋人の頬から紅の花が咲いていた。
何故。何故。花はすぐに死に、花粉や種子を飛ばす暇などなかったように見えた。なのに。
ぐるぐると思考は巡るが、答えは見えてこない。もしや、風に乗って種が舞い飛んできたとでもいうのか?
感染力の高さ、経路の不明瞭さ。あっという間に命を奪われかねない現状に、ヴァイスは身体に震えが走るのを感じた。
「――」
頬を叩き、落ち着きを取り戻す。
アフェニティの名を冠するメイスで、エミリアに触れる。だが花に変化は起きないばかりか、エミリアはヴァイスへと殴り掛かってきた。
この状況。
躊躇いなくシュルズを。清廉なエミリアならば、きっとそう望むだろう。
迷いながらも、ヴァイスは呪文を口に乗せた。
ヴァイスとロージアの尽力により、医師の保護や近隣の花畑の根絶など適切な対処が取られた。また効率的な焼却や飢えの改善により、ミハイル帝の駐屯する首都近辺は落ち着きを取り戻し、避難所としての機能を大きく改善させた。
だが地上には、零れたワインの染みのように、赤紫の花畑がなおも広がり続けている――。
◆獅子の思惑
所変わって、リムランド。
ルクスリア・モール(
tj1016)は、再び北の獅子に謁見を申し込んでいた。
「賢い獅子サマなら分かってるでしょ?」
病や汚染を根から断とうと研究を行うリーガ、焦土作戦など何の解決にもならない徒労を繰り返すウニオン。どちらにつけば未来があるか――そんな問いかけに枢機卿は憤怒し、今にも頭の血管が切れてしまいそうだったけれど。
「熱心に誘われるのは悪い気はしないがな。まあ、そう欲しがるな」
野心を見え隠れさせながら、グスタフ王はルクスリアの言葉を笑い飛ばす。
最低限、ウニオンに付かないようにリムランドを繋ぎ止める――ルクスリアの思惑は成就しているようだ。
だが同時に、ルクスリアの意図も相手に露見した。獅子の国は、天の英雄にとって引き止める価値があるものなのだ、と。
グスタフは聡く、自らと国を安売りはしない。
獅子は、いつかウニオンを切るかもしれない。だがそれは、まだ先の話になりそうだ。
◆黒化病――グレコニア
『俺の村、みんな、みんな、死んじまった』
うわ言のようにそう繰り返す男。その肉体や声は、存在しない。それは、デッドコマンドによってアクアティナ・アイシーア(
td8896)の脳裏に響く、死した男の思念だった。
『あの旅人さえ来なければ、アイツさえ――』
アクアティナの目の前、どす黒く身体を変色させて死んでいる男。その思念は自身の心残りにしか触れず、こちらの問いかけに応えることはなかったが、それでも分かることはある。
この村へ黒化病を持ち込んだ者がいたこと。街道の繋がる先の村や街は、同じように黒化病が蔓延している可能性がある。
そちらは滅んでいるか、或いは重篤な患者が多くいる可能性が高い。
無駄足になるかもしれないが――。
「生きている人がいる可能性があるなら、行ってみましょう」
セツナ・アインスベル(
ta7726)がそう断じ、パシフローラ・ヒューエ(
ta6651)や仲間たちが賛同する。
アクアティナのフロートシップを駆り、空を進む。やがて次の街が見えてくると、彼女たちはそこへ過る人影を見つけた。
別の村を尋ねるアクアティナとアリシア・アンヘル(
tk6251)を残し、ドラグナーたちは大きな街へと降り立った。
「何て辛い光景なのかしら」
パシフローラが胸を抑える。
美しく整えられた街だったのだろう。だが家々の壁に響くはずの人の声はなく、舗装された道には馬車が投げ出されている。道端に倒れている者すら多くいた。
何よりも見る者を苦しくさせたのは、乾いた血の付着した長い棒きれだった。それは病のせいで荒んだ心が、争いを呼んでいることを意味していた。
「隔離診療所は――あそこがいいんじゃない?」
セレン・ヘイズ(
tc8225)が大きな建物を指さす。
貴族の邸宅らしきそこは街の中心から少し外れており、開け放たれた窓や扉は住人が生活を維持できる状態にないことを示していた。
中を見れば一階に広間と客間。十分なスペースのあるそこは、布団を敷けば、確かに隔離所として利用できそうだった。
「花鈿も使ってほしいですのっ」
ルネット(
tj2664)の言う『花鈿(はなかざり)』とは、彼女が呼んだフロートシップのことだ。ドラグナーたちがこの街へ辿り着くのと同時に花鈿も現場へ到着していた。船医とコック、食糧樽の乗るそれは、簡易的な隔離治療所となることだろう。もっとも生命線となる船員が罹患してしまわないよう、注意しながらの運用となるが。
その後も隔離に適した建物を幾つか見つけ出し、ドラグナーたちは生き残った住民をそこへ運び込み始める。
「いやああああ、隔離されたくない!」
アリスフィア・メルス(
ti8412)を前に、暴れる女。
「落ち着いてください、私たちはあなたたちを治すために――」
「嘘よ!! 死ぬしかないことくらい、知ってるんだから!!」
確たる治療法が見つかっていないために、黒化病は死病とされている。隔離されたが最後、ろくな治療もされずただ死を待つのみ――それが多くの一般人の認識だ。
「――っ、仕方ないですね」
距離を詰め、一撃。スタンアタックで叫ぶ女を一瞬で沈黙させる。
強硬手段を取ることに心は痛むが仕方ない。彼女のためなのだから。
住民を掻き集め半日が過ぎた頃、邸宅は呻き声で満たされていた。
「私はドラグナーのセツナ! その身に黒化病を癒す力を宿した女神の使いよ!」
セツナが高らかに宣言する。
「病に打ち克つ気があるなら、私の指示に従って!」
そうして彼女は重篤な症状の出た患者へ歩み寄る。
多くの患者が見守る中、セツナの額に神聖な空気を纏う一本角が生えた。
広がるどよめきは次の瞬間、更に大きくなった。セツナの指先が触れた途端、たちまち患者の肌が美しく治癒していったのだから。
「奇跡だ」
「黒化病が、治るなんて」
セレンやルネットも同じように精霊合身し清浄の力を発揮すると、我も我もと患者たちが立ち上がりかける。
「残念だけど、この力を使うことができる回数は限られているわ」
セツナが全員を治療することはできないと説明すれば、明らかな落胆が見られた。
だが最低限、死ぬ前に治すことができる。セツナはそう強く訴えた。
「知っていてちょうだい。黒化病は、治るの」
「大丈夫、私はお医者さんだから!」
セーユ・エイシーア(
ta2083)がCROSSを掲げて、元気に言い放つ。
「絶対、絶対皆を治して見せるんだから救ってみせるんだから!」
昼夜を問わず看病は続く。
食事の世話、清潔さの提供。やらねばならないことは次々に湧いて出て、ドラグナーたちは目の回るような時間を過ごす。
陽が暮れて、朝が来て。
力の回復した者たちは魔法を使って人々を癒し、合身して清浄の力を発揮する。
中でもピーター・スターロード(
ta0766)は八面六臂の活躍を見せた。
力仕事を一手に引き受け、病人を搬送し、邸宅の大浴場を清掃して使用可能にして多くの者たちの心を癒した。必要な薪の用意や水の運搬も、看病で必死な仲間たちの代わりに全て1人でやってのけた。
「これを」
そしていま、彼は手ずから焼いたピザを患者の前へ持って来た。材料はあまりなく、申し訳程度のチーズしか載っていない。
「懐かしいわね」
だが、口にした老婆は涙を零す。
元気だった頃には、当たり前に食べていたもの。懐かしい香りは、老婆の心に満足感を溢れさせたのだ。
「後は私が見るから、休んでいて」
「ありがとう、任せるわ」
看病をセーユと交代し、雑に布団を敷いただけの寝床へ倒れ込むセツナ。
すぐに意識は途切れた。眠りは信じられないほどすぐに訪れ、深く――。
だから、物音に気付くのが遅れてしまった。
「――誰?」
目を開くと、誰かが自分に馬乗りになっている。
肌が真っ黒な男。がたがた震える手、生気を感じさせない体つき。目だけが薄い蝋燭明かりに照らされて、ぎらぎらと橙色を跳ね返していた。
いや、輝いているのは目だけではない。
視界の端に、もうひとつ輝いているものがあった。ナイフの刃。その切っ先は――セツナの首に押し当てられていた。
「治せ。今すぐ俺を治すんだ」
「できないわ」
それは本当だ。精霊合身は1日1回、セツナが清浄の力を発揮できるのも1日1回きりだ。それも十分な眠りを得ないと、翌日に同じ力を行使できない。
だが、男は信じない。
「嘘をつけ」
震える声で、ナイフを押し込む男。首にちりっと熱い感触が宿る。
「何を基準にあいつを選んで、治した。俺が選ばれたっていいはずだ」
あいつ――セツナが今日までに黒化病を癒してみせた人々の内の誰かだろう。
「私が治したのは、いまにも命を失いそうな人。すぐに治すべき人だったわ」
「俺だってそうだろう!!」
怒号。その声色は死の恐怖に怯え、あまりにも悲痛だ。
「今すぐ治せ!! 俺は死にたくない! 死にたくないんだ!!」
「そんなの――みんな同じよ!」
刃を躊躇いなく握り、押し返す。セツナの掌から血が溢れ、病で力を喪っている男は後方へ大きくよろめいた。
「何をしている!?」
怒号を聞きつけてやってきたピーターが寝所に駆け込み、男を引き剥がす。
「いやだああ、死にたくない! 死にたくないんだぁぁ!!」
駄々をこねるように暴れる男。
「っ、学問や文化を発展させて世界を切り開いてきたグレコニア人の誇りを思い出せ!!」
ピーターとて、無理やり押さえつけることはしたくない。
だがそれでも、特別はない。誰しも生きたいし、救われたいのだ。順番を待ってもらうしか――。
「血が」
男の額から、血が出ていた。押さえつけられた拍子にか、顔を床に擦ったらしい。
応急手当セットから清潔な綿布を取り出し、男の顔へ押し当てるセツナ。
「お願い。私を信じて、私の言葉に耳を傾けて」
傷つけられた自身の治療よりも先に、男のささやかな擦り傷を整える。その姿に、男はようやく力を抜く。
「私が必ず救うから」
力強い宣言は、果たして希望の灯となるのか――。
◆命の選別
「病状の浅い人から船に乗ってください」
別所では、アクアティナが村の人々を呼び集めていた。大きな街から街道を介して繋がっている小さな農村では、街から入ってきた感染者によって病が広まりつつあった。
助かるならと我先に乗り込もうとする重篤な患者もいた。アクアティナはラグザを成就させていたが、それでも非協力的な者がいるのは、命が掛かって形振り構っていられないと考えたからだろう。
そうした手合いは、アリシアが阻む。
病に冒され、本調子でない相手だ。抑えるのは容易だった。
比較的軽度の患者を連れて、フロートシップ・フギンは飛ぶ。
アクアティナの方針は、助けられる人間を助ける、だ。最早手の尽くしようがない者と軽度の患者を引き離し、治る見込みのある者へ体力と気力を備えさせる。
重篤化した患者に引きずられ、生きられる者までもが死ぬなど、悲劇の拡大でしかない。
――そうと頭では分かっていても。
村に残された患者は、大声で喚き、泣いていた。
その夜、アクアティナは夢を見た。
老若男女、肌の真っ黒な人々がアクアティナを取り囲み、怨嗟の声をあげるのだ。
何故助けなかった、何故置いて行った。
アクアティナが悪いわけではない。寧ろ彼女は最善を尽くし、救える命の数を増やした。
なのに。
「アクアティナ様」
――うなされていたのだろうか。目を覚ましたとき、そこには気づかわしげなアリシアがいた。
「すみません、大丈夫です」
「いまは休息を。清拭前の患者はうちに任せてください。うちは役に立つ人形です」
起き上がろうとするアクアティナを押し留めるアリシア。
心配するほどのことでは。そう言いながら水桶を見て、アクアティナは驚く。
そこに映った自分の顔は――ひどく、やつれていた。
動物と、人と、時には魔とすら心を通わせる。真心で目の前の事象に当たり、誠心誠意の奉仕を繰り返してきたアクアティナ。
だからこそ、他人の怨嗟は心を締め付ける重たい呪いとなったことだろう。
だが、それでも。
「ありがとうありがとう」
震える泣き声が聞こえる。あの声は確か、子どもを抱えて乗り込んできた女のものだ。
あなたたちのおかげで、救われたと。
繰り返し告げる女の声を子守歌に、アクアティナは再び目を閉じ、心を休める。
◆黒化病――カスティラ
所変わって、カスティラ地方。
小康状態のこちらに足を向けたドラグナーは少なかった。
そんな中でも、苦しむ者がいる町があると聞きつけ、モーリス・エメント(
ta0535)とフィリーネ・ランデル(
tj9100)はそこを訪れる。
ピュリファイや熱湯で消毒、錬金鍋や水瓶で清潔さを保つ。学んだ医療術で適切な対処を施して完璧な対応を見せるモーリスを、フィリーネは必死で手伝った。
炊き出しをして、患者の体を拭いて慌ただしく過ごしていると、あっという間に夜はやってくる。
「さあ、もう寝てください」
持ち前の教養で子どもたちに話を聞かせていたモーリスが、月の位置を見て彼らを寝床へ促した。もっと話を聞きたいとせがむ子どもにまた明日と約束して、布団を掛ける。
出遅れたフィリーネが、濡らした布巾を手に立ち尽くす。
「何か」
静かに問うたモーリスに、フィリーネは唇を噛み締めて小さな声を零した。どうしてこんなに何も出来ないのだろうと。
医療に対する知識も、脅威に対する戦術も。
自分にだって両の手と頭があって、もっともっとできることはあるはずなのに、実際には到底満足のいく働きは出来なくて。
「――気持ちは、理解します。自分では歯がゆく思うかもしれません。ですが」
言いながら、モーリスは内なる精霊を目覚めさせる。虎縞の紋様を浮かべた彼は、目の前で眠る子どもの夢を、光あふれる楽しい光景へと書き換えた。
「あなたは確かに希望を与えている」
――昼間、フィリーネは震える民に宣言した。
『ここは、わ、私が、ま、守ります! だから安心して、病を治すことだけに専念して下さい!』
その言葉がどんなに心強く、そしてその後のフィリーネの献身的な態度と励ましが、どんなに多くの人たちを救ったことか。
「そう、でしょうか」
フィリーネの瞳に、涙が浮く。
何でもいい。
闇に閉ざされつつある日々に、光は再びやってくるのだと。
そう思ってもらえるように頑張りたい。
◆混沌の魔物――ウーディア
ウーディアでは、カオススポットの封鎖にドラグナーたちが動いている。
最初は大人数が集まったものだと驚いたものだが、それが間違いではなかったと知る。変異した獣は、他では類を見ないほど大量に現れていたのだから。
「こんな数、森の何処から出て来たんだ!?」
森の動物全てがカオススポットを通るわけでもあるまいに。シューセイ・アイーサワ(
tk1824)がホイップを唸らせ、顔のない獣を絡めとる。
すぐにそれを振り払い、自由を取り戻すが。
「カオススポットが、よほど大きいか或いは、複数が同時発生した、か」
そこへクレド・バラン(
tc0415)の鋭い一撃。黒い刃は薄紅色の淡い光を纏って、獣を葬り去った。
「スポット自体は――見えないな」
箒から仲間のもとへ降り立ちながら、ラキュエル・ガラード(
tb2724)。
件の森は見え始めている。なかなかに広い森だ、捜索は骨が折れることだろう。上からスポットが覗ければと思ったのだが、深い葉に覆われてその姿は見えない。
せめて葉がなければ、得体の知れない歪みが目に見えるかもしれないのだが。
くたりと道に転がる獣の姿。ウル・フレイン(
tc2676)が見るともなしに見ていると、その背をユトリィ・グリーニア(
tb2400)が叩く。
振り返れば、最愛の配偶者もまた、微妙な感情を滲ませながら薄く微笑んでいた。どうやら同じ気持ちのようだ。
(変異した子たちも、望んでなった訳じゃない)
危険だから排除はしなければならないけれど倒すことで魂だけでも解放されたら。そう望むのは、命を奪うことへの言い訳だろうか。
「早く、やっちゃおう」
ユトリィの足は、まっすぐ森へ向かう。しかしその視線は、やや下を向いている。
彼女の瞳が追い駆けているのは、獣が地面へ抉りつけた足跡だ。4本の足で地面を蹴りつけていることは、他の動物と何ら変わらないように見えた。
だが見る者が見れば、その足取りはまるで辛さを訴えるように、よたよたと揺れているようにも感じられる。
変異したばかりで慣れていないのか。
「となれば、大分スポットが近づいてきたとも考えられるけど」
油断はできない。
慎重に、ドラグナーたちは進む。
現れる異形を倒してはその足跡を追って、それを繰り返し。そうして分かったことは、どうやらカオススポットが1つではないということだった。
「だから動物がたくさん変化したのか」
森に入った途端、木々に襲われて。驚きながらも、シナト・シュンラン(
tk1860)はシューセイと息の合った動きでそれらを撃退してみせた。
だが不意を打たれた経験は、彼らを慎重にさせる。森の木々全てが既に変容しているのではないかと疑いたくなる。
「いつ襲われるか分からないのは、気が休まらないな」
「大丈夫。よく見れば分かるよ。ほら」
厳しい眼差しで辺りを見回すシナトへ、ユトリィが屈んで何かを指さした。
薙ぎ倒された下草と、抉れた地面。
植物がスポットに触れて変異し、森に入った人々を襲うスポット近辺でそれを行うのでなければ、変異した彼らは移動する必要がある。
そして木のような大きな物体が動いたのなら、痕跡は必ず生まれるのだ。
「冷静に、ゆっくり行動しよう」
早くスポットを封鎖しないと、被害が増える。だからといって焦って怪我をすれば、スポットを特定できる人間がいなくなってしまう。
急がば回れだ。慎重さが求められた。
ドラグナーたちは複数班に分かれた。森は広く草木が生い茂っている。大人数でぞろぞろ移動するメリットはあまりなかったからだ。
「やれやれ、こうも雅さに欠けるバケモノが跋扈するなど嘆かわしい」
茂みから現れた獣を黒騎士剣マルドゥークにて切り捨てて、ゾーク・リジェクト(
ti5670)。
「少しずつサッパリさせねばなるまいて、なぁ戦友」
「だな。本当なら、カオススポットの浄化ができたら万々歳なんだがな?」
応じるカーム・ヴァラミエス(
ti5288)。
スポットを消し去る方法は見つかっていない。物理的な封鎖しかない現状は何とも歯がゆく、ままならない気持ちにさせられる。
「エドラさんではまずいのか?」
マーヤ・ワイエス(
ta0070)は言うが、エドラさんもといエドラダワーの直径3メートルという範囲より小さなスポットでなければ通用しない。何より、この魔法はおいそれと放つものではない――自己犠牲の精神は尊いが、それは癒しの魔法のリソースを割かせるなど、周囲に影響を与えるのだから。
シルト・グレンツェン(
tc1016)が獣を打ち払い、枝を撓らせる木々を叩き割り戦局が落ち着くと、エト(
tk8210)が変異の危機を免れている動物から、周辺の情報を聞き出していく。そうして、ユトリィに教えられたように痕跡を辿っていくと、不可思議な景色が見えてきた。
周囲の全てを歪めるような、禍々しい場所。カオススポットだ。
だが、変容した生物の根源となる場所ということは、それだけ多くの敵がいるということと同義で。
周辺の草木の影から複数体の獣が飛び出す。そして周辺の木々が、一斉にドラグナーたちに牙を剥くではないか。
「俺の凍てつく刃が効きそうよな」
にやり笑って、水の剣を生み出すゾーク。反対の手に握る剣は凍結の力を纏っている。元が通常の生物なら、これらとて効果がある。
「任せて」
シズネ・カークランド(
tk1515)の秘策も通じるはずだ。ミタマギリによる魔法的な力の衰退、そしてミコトによって付与された死を招く能力――獣へ優先して繰り出された短剣は、一撃で獣の動きを止めた。
「やるなあ」
呑気な言葉は相棒がすぐ傍にいるからか、それともエトが生み出したガードナーの盾がすぐに飛んできてくれるからか。飛び来る小枝を無視して斬撃を繰り、カームがにやり。盾と、自らが生み出した気流に守られて、カームの肌には傷ひとつ生まれない。
1匹、また1匹とハイペースで切り伏せていきやがて、動くものがいなくなる。
「あははは♪ 殺せる♪ こんなに一杯、カオスを殺せます♪」
「そらイッちまいなァ、カオスなンたらさンよォ!」
高笑いを続けながら攻撃し続けるメイベル・フラガラッハ(
tj5250)の横で、ツヴァイ・ドラグリア(
tg1256)が剛腕を振るう。
特にツヴァイの攻撃は、全てを狩り尽くさんとするかのように強烈で、鋭く。その一撃を受けた者は、たちまち体力を大きくこそぎ取られていた。
「あは♪ あははは‥‥」
動く者が少なくなっていくと同時に、メイベルの笑い声も静まっていく。
そして、辺りは葉擦れの音だけが響く様になって。
「後は封鎖するだけ、だな」
「――」
物理的に封鎖するため、一度資材を取りに戻らねば。
そういって踵を返す、仲間たち。
「あの」
だが、ジュリエット・レスタ(
tk6336)がそれを引き留める。
「試したいことが、あって――」
◆混沌の魔物――カスティラ
海岸に飛来する、大量の魔法石。フロートシップ緑翠・蒼嵐から降り注ぐそれは、硬い蟹の甲羅を突き破り、カオスに浸された海岸へ闇の残骸をばら撒いた。
「酷い有り様だね」
苦く笑うレイシス・オルトラード(
tk3037)。高台から見下ろした海岸線にはまだ蠢く闇が覗く。
「まだまだ掛かりそうだねー」
クセル・クルヴァイト(
th5874)が言う間に、波間から新たな個体が現れた。
フロートシップが到着するまでの間に彼らは既に交戦済みだ。その経験から言えば、敵を倒すこと自体は然程難しくなさそうだった。
「じゃ、やろっか」
ドラグナーたちを睨みつける闇の前に、クセルが文字どおり躍り出る。フィアクリスの誘い――幻想的な光を纏った華やかな舞は、残った闇のおよそ半分を惹きつけ、不格好な踊りを披露させる。なお、仲間たちは光に巻かれても誘われることはない。あらかじめ、レジストサンズヒートを成就させているからだ。
踊り続けて無防備なクセルへ向かう相手には――。
「させるか」
エッダ・アーベント(
tj8699)がホルスで急行し、割り込む。短刀から繰り出される滑らかな一撃は、硬い筈の蟹の甲羅を易々と割り裂いた。
「ありがとう」
「どういたしまして。しかし」
エッダが顔を曇らせる。フロートシップの砲撃があった分、到着前であった昨日までよりはずっと楽に戦えている。もうすぐ海岸に蔓延る闇は綺麗さっぱり消え去ることだろう。
問題は、新たな敵が湧き出るペースだ。
今日にいたるまで、ドラグナーたちは海岸に蔓延る闇を片づけて来たのだ。だが何度綺麗にしても、寝て起きれば海岸は闇で溢れている。
「カオススポットの場所を確認したい」
ダーヴィト・ベルネット(
te5488)が言いだすのも自然なことだ。幾ら敵を討伐したところで、ドラグナーが天竜宮に帰ってしまえばまた悲劇が起こることは目に見えている。
しかし、それがあるのはどう考えても海の中で。
「行くというの?」
「こんな気持ち悪いの増える状態、放っておけないだろ?」
火属性の精霊ケツァルコアトルであるハイレンは、水中は得意とはいえない。置いていかれることへの小さな不服と、闇の者を放っておけない使命感とで複雑な心境のようだ。
「宜しく頼むぜ、相棒」
そんな信頼を向けられては、仕方ないと応じるしかないようで。
ハイレンが長い体を引き摺り、海岸線で蔓延る闇を睨みつける。その視線に見送られ、ダーヴィトとエッダが敵の間をすり抜けて波間に飛び込んだ。
残るハイレンの両脇を二人のヴォルベルグが固めた。レイシス、そしてクリスティン・カートライト(
tk2845)。
「海岸が綺麗になったら、あたしたちも追いかけるかい」
「そうですね、備えはしてあります」
腰から提げたダガーを撫でて、クリスティンは弓を引く。
「クリスティン、あたしが咆哮を上げたら近づくんじゃないよ」
「それは」
「何、一応さ」
レイシスの言葉に微かな抵抗を見せるクリスティン。減った戦力を補うために、レイシスが無理をしようとしているのが伝わって来て。
「大丈夫です、乗り切りましょう」
彼女の背は、自分が守る。
決意の篭った一矢が、うねるゲル状の闇を貫いた。
◆新薬開発
ローレック市国。
研究所は広大で、その所々から騒がしい音が聞こえてくる。爆音、悲鳴、諦め交じりの笑い声。どうやら薬の研究は、上手く行っていないようだった。
錬金術師たち特有の空気。どことなく理解を示すホーキポーキたちに対して、ソディア・ブレイブ(
tj3138)は居心地が悪そうだ。
「魔法の道具を作り出す技術がなくても、安心してほしい」
ふと、研究所員がそんなことを言う。
「我々が欲しいのは新たな発想。新たな風だ。どうか、我々にない着想を与えてほしい」
「――ああ」
背中を押され、頷くソディア。
錬金術に関してはズブの素人を自認する彼女だが、それを恥じることはない。
扉が開く。大量の錬金素材と開発道具、そしてローレック自慢の錬金術師たちが、そこにはずらりと並んでいた。
抗うべき世界の症状は、現在のところ大きく分けて3つ。
黒化病、悪魔の花、そしてカオス化だ。
それぞれを研究しているという錬金術師たちの班へ加わるかたちで、ドラグナーたちは居並ぶ素材を眺める。
「病気を治すんだったらマンドラゴラの干物は必要よね」
もはや悲鳴を上げないマンドラゴラを手に取って、シューリア・シーリア(
tc0457)がぽつり。
「次は女神の足跡で浄化するとか」
「そうだな、或いは『肉体や魂の』浄化、という新たな素材を見つけ出すか」
アルディス・クランドール(
ta5940)が肯定を上乗せする。
女神の足跡の持つ『浄化』とは、闇の力を消し去るもの。体に宿る悪しきものを祓うという意味では合っているように思えるが、プロメテウスで黒化病を祓えたという話は聞かない。
ただ、悪くはないように感じられた。意味が近いけれど異なるもの。そして実際に黒化病を払った実績があるものといえば。
「『清浄』――」
シエル・ラズワルド(
tb6111)が零した。
ユニコーンと精霊合身したセツナが、カスティラで黒化病患者を治した実績がある。あれと同じ効果を、得られるならば。
ただ問題は、いまのところ清浄の効果に適した錬金素材は、存在が確認されていない。
それともう1つ。
「素材的には陽素材になりそうな気がするからなぁ」
自分には扱えないかもしれない、と嘆息するシエル。
「そうだろうか?」
アルディスが驚いた声をあげる。アルディスも同じように清浄の素材を候補に考えていたのだ。
守護精霊にユニコーンを宿す者が得られる特殊能力であるなら、近い魔法的効果を持つその未知なる素材も地属性なのではないだろうか。
或いは言葉の印象からは、水属性である印象も受けるが。
「地・水本線、陽とあと属性を持たない可能性もあるかな」
アルディスはもうひとつ私案を披露する。
「『異物の除去』――或いは『吸収』などという効果があれば」
「前者は少々悩ましいのでは?」
フィザル・モニカ(
tc1038)が唸る。彼も、体から異質なものを分離させることを考えていた。
限定的な効果を持つ素材は、他よりも力を持たせ易いということが分かっている。例えば成長を司る青白く燃える粉に対して、植物の成長という効果を持つトネリコの種が存在するように。
だが『異物の除去』は分離させること、そして体にとっての異物と判断させることの2要素を1つで賄う内容となる。
「或いは2素材に分けた方がいいかもしれませんね」
「『異物』と『除去』ということか異物はもう少し適語があるかもしれないな」
欲しい効果は大体絞れてきたか。ならばあとの問題は。
「どこに、あるか――かな」
新素材の採れる場所を想像し、意見を交し合う。レイナス・フィゲリック(
tb7223)が土地勘や医療知識を用い、各意見を精査した。
そして錬金術の想定内容と共にそれを待機している者たちへ伝えるため、フロートシップが飛ぶ。
新素材が見つかるまで待つのも勿体ない。今ある素材の中で作れるものも、考え始める。
「グレコニアタートルの甲羅に、トネリコの種――」
アルディスの想像は翼を持って広がっていく。クラーケンの逆薬や古びた翠玉の碑文で、症状を除去したり後退させるのはどうか?
「黒化病の感染に関係する要素は何なのだろうか?」
もしも精霊力や守護力ならば、それを高めるというアプローチも。
「そこですわ。わたくしからも提案いたします」
アナスタシア・クイーン(
tk1622)が、3つの素材に着目する。ローデの蔦、青白く燃える粉、そして真珠を溶かす霊水。
「同じ病気でも弱っている人は感染し、健康に優れた人は感染しないことがありますわ」
抗う力に乏しい人は、それだけ病気に掛かりやすくなる。そこを錬金の力でサポートし、伴侶や親子、恋人などとの絆の力で病を克服する。
これは彼女がエンダール、いや医療従事者だからこその発想だろう。
「その、もうひとつ案があるんだ。いいだろうか?」
ソディアが口を開く。
先ほど出た案、清浄の素材を使うなどの発想は、『なくして癒す』形だとソディアは言う。体に巣食った病魔を清め、消失させる――。
「もうひとつ別の方向性として、『体の外に取り除く』という形もあると思う」
――その話は、誕生の秘蹟を連想させた。
体の内に溜まった業を消し去るか、淀みを払い落とすか。
「その、そこから更にもうひとつ、違う形を提案したくて」
そうしてソディアは、第3の選択を口にした。
「『病やカオスを小さな結界で閉じ込める』のはどうかな?」
「死産の問題にしてもだけど、身体に悪いモノが入るのは仕方ない」
生きて、社会を構成して。何かを大切に思えば、ささやかな悪に手を染めることもあるだろう。どんな善人でも、だ。
「それを抱えた上で生きて行く仕組みは出来ないかな?」
無垢になるのではなく。
身体の中に、小さなアマテラスを展開する感覚で――ソディアの言う方法は、いつか破綻するものだ。もしもカオスをそのまま封じ込めれば、取り入れた『悪いモノ』は結界の中でいつか飽和し、また外へと溢れてしまうことだろう。
だが、それは長期的に見た場合の話。
「この惨状を乗り切るには、素晴らしいアプローチなのでは?」
黒化病の蔓延という絶望から、人に希望を与えるための。
結界、闇の誘因――錬金術師たちが次々に素材を選別し、あれこれ試し始める。
「役に、立てただろうか」
「もちろん」
門外漢であるという意識から、意見を言うのは勇気がいったのだろう。胸をなでおろすソディアへ、レイナスが笑み掛ける。
「悲劇を払い、新たな道を開けるようそれが自分たちの役目でもあるのですから」
ソディアもまた、そのために力を尽くす1人なのだから。
悪魔の花に対抗する――そのための意見出しは、難航していた。
シース・アイーサワ(
tk1851)も、小さな体を丸めて素材ひとつひとつと睨めっこ。
傍に置かれているのはオレンジの砂と、石像の粉だ。
プラントスレイヤー、破壊。それは薬を作るという目的に似つかわしくない、物騒なラインナップだ。気になったのか、ローレックの錬金術師がどういう意図でその2つを選び取ったのか問いかける。
「もしかして、患者ごと砕く想定か?」
「まさか! 沢山助けたいですからね、一生懸命考えているんです」
「助けたいねえ」
それにしてはやっぱり、選ばれた素材が不思議な気がする。やけに攻撃的というか、何というか。
「下手に回復効果のあるものを使うと、花も一緒に回復してしまうと思いませんか?」
その言葉は問いかけの形ではあったが、別に質問という訳ではなかったらしい。シースの瞳は居並ぶ素材の間をゆっくりと行きつ戻りつしている。
悪魔の花は、文字どおり根深く寄生する。
「悪魔の花は、寄生された者の体力を吸い取って大きく咲くっていいますよね」
それはつまり、苗床となった者を幾ら癒しても、そのまま体力が吸い上げられてしまうことを意味している。
「宿主を元気にしてしまうと、それは花を元気にしてしまうことに繋がってしまうと思って」
だからいっそ、宿主の身体を労わり癒すということはしない。
その代わり――。
「あ」
ドラゴングラスが、ぎらりと光る。
「これです!!」
その指が摘み上げたのは、ほんの小さな白い綿毛。
――『分けること』。
分けるのは、効果を与える対象。
一時的でいい。花と人の癒着を剥がすことができれば。そしてその隙に――人が死ぬ前に花を根絶することができれば。
根や種が残ってしまっては、花が死んでも寄生された者は激痛に苦しむことになる。破壊は徹底的に。そして――人に影響を及ぼさないように。
花が死んだ瞬間、傷口は開くことだろう。だがそれはまた別の錬金術や魔法、医術で対応すればいいのだ。なにせ花が完璧に破壊されてしまえば、そこに遺るのはただの傷でしかないのだから。
「――なるほど!」
錬金術師たちが目を輝かせる。
恐らく、シースの選んだ素材だけでは魔法的な能力は足りないだろう。だがそこは、代替の素材を用いるなり素材を追加するなりで補えばいい。
回復をしない。癒すのではなく、花の破壊を優先する。
その方向への舵取りは、煮詰まった現場のブレイクスルーとなった。
そして、カオス化。
こちらは悪魔の花とはまた勝手が違う。取り付かれているのではなく、自身が変容しているのだから。
「内側から変化してしまったものを、分離させるのは難しいでしょう」
考え込む様子を見せるレイナス。
だったら、元に戻してしまえばいい。症状を、反転させるのだ。
反転――それには複数の結末があるだろう。
身体の時間を戻すか、力の向く先を反転させるか。
時間を戻すことは、恐らく万能の結果に繋がるだろう。黒化病もカオス化も、悪魔の花も或いはオートマタ化すらも、全てをなかったことにできる夢のアイテムになるかもしれない。
だが、だからこそ多くの人を救うほどの量や安定した効果を提供し続けられるかどうかには疑問が残った。価格の問題ではない。魔法の力の限界や、そんな素晴らしい能力を持つ素材が見つかるかどうかだ。
なら、現実的なのは後者か。カオスへと変化していこうとする力そのものを、反転させる――。
「となると、クラーケンの逆薬か、古びた翠玉の碑文か」
ティティ・ガラード(
td5352)もまた同じく、反転させることを考えていた。本当は時間を戻し、オートマタとなって苦しんでいる知人を戻してあげたいとか、他にも様々な事象に使えればとか、そんな気持ちもあるけれど。
「後は」
女神の碑文に視線を映し、首を振るティティ。
その仕草に気付き、レイナスが問いかける。
「どうしました?」
「浄化は属性的にキツいかな、って」
「そんなことはないのでは」
不思議そうなティティ。
ティティが手にしているのはマンドラゴラの干物、調合された薬草。ともに無属性だ。レイナスほど錬金術に卓越していれば、月属性のティティが陽属性のそれを2つと掛け合わせるのは不可能だと、分かりそうなものなのに。
だがレイナスは、笑って彼女へ手を伸べる。
あ、と小さな声があがった。
その答えは、シンクロアルケミーだ。レイナスもティティもそれを習得している。
或いはドラグナーたちがそれを習得していなかったとしても、ここは魔法研究の最先端であるローレックの街。
その魔法を習得している錬金術師は、多くいるはずなのだ。
「でも、ちょっと待って」
考え込むティティ。量産錬金でシンクロアルケミーを使った例は、恐らく今までにない。それはとても高度で、恐らく高価に過ぎるものだ。
だが、今は恒常的に販売する画一的な『商品』を生み出そうとしているのではない。世界を救うきざはしとなる希望を生み出そうとしているのだ。
ここに至って、金銭は度外視。あとは技術の問題だがこれに関しては、ローレックの錬金術師たちは「やってみないと分からない」と言う。
「自分たちの想定は、どうやら似ているようですね」
ティティに向けて差し出された、レイナスの手。その反対側には、錬金術の基本思想が記された、翠色の古ぼけた碑文がある。
「色々と試してみましょう」
柔らかに結ばれる握手。
素材をひとつところに集めて2人は頷き合う。
◆材料採取
レイナスが主となり、各素材のある場所を推理。その情報は緑翠・薫風が天竜宮に待機する仲間たちの下へもたらした。
必要なのは清浄・異物の除去・吸収。
清浄は地・水の影響が濃い場所にて、清らかなものや美しいものがある場所に。
異物の除去は、何かを排斥するような場所。
或いは異物と除去2つの素材に分かれるかもしれない。その場合は常あるべきものの中に紛れ込んだ何かや、自然の流れで阻害される何かが該当するだろう。
「天竜宮?」
サクヤ・クリスタル(
tf5262)が素っ頓狂な声をあげた。
指定された素材の推定採取地が、ほとんど天竜宮だったからだ。
「確かに今、地上では力の強い素材を集めるのは難しいかもしれません」
対して、エターナ・クロウカシス(
tc7434)は納得顔。
天竜宮のほとんどの地域は、元は地上にあった場所だ。天竜宮で採れる素材は勿論、地上でも採れる可能性がある。
だが今や世界はカオスで溢れている。悪魔の花によって生命力を失ったり、カオスによって存在を歪められたりが多い昨今、地上でまともな素材を捜すのは骨が折れることだろう。
特に、今回最も大きなキーとして想定された効果は『清浄』だ。
「地上も探索してほしいそうですがこちらは広範囲を早く飛び回れる者しか行けないでしょう」
「ほう」
サクヤの瞳がきらりと光る。そういう需要に合わせるために、彼女はフロートシップを用意していたのだから。
「ネーちゃんー いくー」
ネー(
tj2543)もまた、きゃっきゃと手を挙げた。制約という条件付きではあるが、尋常ではない速度で長時間飛び回れるのは、彼女も同じだ。
捜索個所は、天竜宮では常冬の領域、ドゥーミン島、そして天の岩の領域。
地上では清潔そうな場所。例えば人の手の入っていない高山や滝、川などの秘境など。曖昧な指示になっているのは、いかなフロートシップといえど今からでは間に合わない地域があるからだろう。
ドラグナーたちがローレックの研究所に入り案出しを行って、ライアンを用いて天竜宮へ意図を伝える最短の手順を取っても、地上では2日間が経過している。移動手段の速度次第では、あまり遠くまで行くと研究中のドラグナーたちへ素材を届けるのが間に合わない。
「怪しいものがあれば、もう片っ端から持ってくるしかないですかね」
セレスタイン・オブライエン(
ta0002)が肩を竦めた。
◆取るべき行動
夕暮れどき。
「コーデリア」
七精門の前に立っていたコーデリア・リトル(tz0002)へ、ジル・ヴァサント(
tf1251)は呼びかけた。何やら驚いたらしく、彼女はぴくりと肩を跳ね上げてこちらを見る。
「あ、あ、ジルちゃん」
慌てたような顔を見せた後、やんわりとした笑顔を浮かべる。素直な彼女の感情は、対人鑑識に優れたジルでなくとも分かりやすい――彼女は悩みを、押し隠したようだった。
「いまね、何かできることないかなって考えてて」
「なら、一緒に地上に行こう」
「え?」
予想外の言葉だったらしく、彼女はぽかんと口を開ける。
――安全な場所であやふやな祈りを捧げるよりも、いま確実にできることがある。
「女神として皆に救いの手を差し伸べるのではなく、ドラグナーとして一人でも多く救うことを考えるんだ」
「ドラグナーと、して」
一言ひとこと、反芻するコーデリア。そんな彼女の目の前へ、ジルは歩み寄った。
こちらを見上げる彼女は、本当にただヒューマンの素朴な女性にしか見えなかった。あまりにも小さく、あまりにも普通で。
ゆったりと手を差し伸べれば、彼女の視線はそれを追いかける。
「行こう。仲間を助け、1人でも多くを救いに」
コーデリアは迷った様子を見せた後、おずおずと手を伸ばし――。
「すまんが、それはさせられぬ」
凛とした声が響いた。
声の主は、メル(tz0001)だった。そのすぐ後ろには、ハルト・エレイソン(
ti5477)もいる。
「あまりにも、危険すぎる」
今まで散々コーデリアを危険地に送り込んできたメルらしからぬ言葉。
「女神の力を持てど、コーデリアの肉体はただのヒューマンも同然じゃ。悪魔の花や黒化病で容易く死に至るじゃろう」
メルは言う。
今の地上に送りだせば、コーデリアを失うかもしれない――そんな博打はさせられない、と。
「メルちゃん」
正論を叩き付けるメル。その言葉を聞き、伸びかけたコーデリアの手が引き戻されてしまう。
指はジルの手に、触れない。
「――そうか」
「え? あ、ジルちゃ!」
ジルは七精門を潜る。地上の人々を、仲間を、一人でも多く救うために。
コーデリアはそれを止められなかった。結果的にとはいえジルの誘いを断り、メルの言うことに従った。
だからコーデリアには、何を言う資格もなかった。
◆コーデリアの想い
七精門の前で立ち尽くす3人の下へ、またドラグナーたちがやってくる。
彼らを見たコーデリアは耐えられなくなったらしく、ぼろぼろと涙を流しながら突撃した。
「うわ、どうしたのコーデリアさん」
「メ゛イ゛ぢゃああああん゛」
「コーデリア、げんきだして〜!」
「コーちゃんげんきない? ベリーたべる?」
わんわん泣きながら縋ってくる彼女の背をメイ・マートン(
tb9157)が撫で、シャインアイ(
tj3923)が頭をよしよし。アンリルーラ(
tj5260)は小さな果実を一生懸命ぶんぶん振る。
「食べる」
「食べるのかよ」
呆れ声をあげるライトニング・ブガッティ(
ta1827)。
「まぁあれか、急に女神の力に目覚めたせいで、何をしたらいいかわからないって感じだな」
ライトニングの言葉に、コーデリアは深く頷いた。
降って湧いた、たくさんの悩み。世界の在り方、自分の力の使い方。――自分に何ができるのか。それらをわっと吐き出して、準女神は溜息を吐く。
「くっく。女神といえどヒトはヒトだな、その懊悩する顔は我らと何も変わらない」
笑うハルト。
不完全な身に大いなる使命を背負いし2人。
「片や懊悩を七色に隠し果断に英雄を導き、片や無力なる劣等を笑顔に隠し健気に英雄を支えた」
きょとんとするコーデリアに対し、メルは押し黙る。反応の差は、自覚と気苦労の有無だろう。
「七色の君よ話し給え、全てを知りながら彼女の個を守る為に沈黙を通した思い遣りを伝え給え」
「わらわは――」
メルは言葉を濁す。だが、ハルトの促しに、意を決して、口を開いた。
「世界を救う術を持っておらぬ」
正直、女神を頼る他ない。
「コーデリアに期待もしていた。じゃが」
女神として自覚をもったコーデリアの力は、この世界に溜まりに溜まったカオスを打ち滅ぼすには、到底及ばないものだった。
実のところ、女神の力が十全でないことは予想していた。だが、思っていたよりも更に、コーデリアの力は小さなものだったのだ。
「試してみたいことが、あるのですが」
限界が近いというのは、思い込みや枷ではなく本当なのか? 疑問に思ったティーネ・アリエクト(
tb3206)はコーデリアに了解を取り、精霊憑依を試みる。
(肉体的には、本当にヒューマンなんですね)
得られた五感はヒューマンとして違和感のないもの。そもそもティーネの意識が、問題なくコーデリアの中へ潜り込めたこともその証明だろう。
精霊憑依では、意思は読めない。その体を操ることもできない。そのせいか、彼女の言う力の限界がどんなものかは、はっきりとは分からなかった。
けれど。
血か、それとも奇跡か。コーデリアの五感――或いは第六感に触れて、何となく。限界が近いというのは、本当であるような気がした。
『いるだけで安心出来る、力が湧いてくる、そういう存在も大切』
「?」
ティーネは元の肉体へと戻る。
「いるだけで安心できる、力が湧いてくる、そういう存在」
頭に浮かんだ――ティーネが囁いた言葉を反芻する。
それが何を意味しているのか、混乱するコー。
「俺には家族がいない」
その姿を見て、カイエン・シュルズベリ(
tj4060)が、ふと口を開いた。
難しいことはわからない。世界の成り立ちなど、あまり考えてこなかった。
代わりに胸に抱くのは、近しい人、友、そしてカイエンを仲間にしてくれた皆。それがカイエンにとっての『いるだけで安心できる、力が湧いてくる存在』だ。
「コーデリアには、そんな想いを寄せる人は、いるか?」
「そうだね、話してごらん」
ヘルマン・ライネケ(
tj8139)も追従した。
以前、メルがコーデリアに『いい人』がいないかどうかを気にしていたことがあった。
「恋とか愛とか、そういう感情が力になりやすいのだろうか、とね」
「ふむ、そうじゃな。それについても、説明しよう」
話が長くなってすまんがの、と言いつつ、メルは続ける。
「代々、女神の長は人と恋に落ちるものなのじゃ」
◆伝承
世界には様々な女神が存在する。それら女神を束ね、導くのが、シーリーヘイムにいる『女神の長』。
「女神の長はまず、シフールとして産まれる」
シフールはやがてシーリーヘイムを飛び出し、コモンヘイムへ。そこで女神の長となるヒューマンの女性と、その想いを受け止める英雄に出逢うのだ。
神代の時代。
女神となるべき女性ヘイルと、英雄の供であるシフール・セラは、英雄ローレックに恋をした。
ヘイルは恋した人を守るために女神となり、ローレックはヘイルへの想いを貫いた。セラは恋敗れた後に世界を彷徨い、次代の女神となるため転生。
「この悲恋は何も、神代の時代に限ったことではない」
英雄の魂を女神が愛すのか、それとも女神が愛した者は力を授けられて英雄へと変わるのか――とにかく魂と魂は惹かれ合い、それを力に女神とシフールは生まれ変わり、いずれまた魂が引き寄せ合う相手を捜す。
そうして、世界は保たれてきた。
だが600年前、異変が生じる。
デュルガー王の復活の影響か、或いは闇の者が手を回したか――セラは転生の際、魂が2つに分裂してしまったのだ。
分裂した魂は、2人の女神候補として産まれ落ちる。
そして2人の女神候補は、それぞれ別の相手に恋をした。
2人の英雄、2人の女神。それに対して、お供のシフールは1人。
シフールはどちらの英雄にも恋をすることなく、時は流れた――思えば、このサイクルは、600年前、既に瓦解していたのだ。
そして現代。
シフールの魂は転生し、AOSを介して、ヒューマンとして産まれ落ちた。
――力の薄れた女神として。
◆女神の気持ち
女神の転生におけるサイクルが、現在どれだけ残っているのか?
コーデリア自身の想いは?
それらが知りたかったのだと、メルは言う。
「その仕組みはなぜ生まれたのか分かるかね?」
ヘルマンが問うた。世界の真理は、ヘルマンにはあまりに少人数に負担が偏るものだと感じられたのだ。
「分からぬ。神話に『何故』を求めても仕方あるまい」
メルは肩を竦めた。神話とは大抵、話の主となる神々を、愛と恋、そして情炎という広くもない感情が取り巻いているものだ。
それでは、いまのコーはどうなのか。
カイエンの視線に応じて、コーは口を開く。
「――あのね」
コーデリアには以前、淡い想いを抱いていた相手がいた。純朴で優しい、草原の匂いがする人だった。
月日が経ち、想いはやがて風化して――きっとその時の、恋とも呼べない小さな思い出だけを抱きながら暮らすのだろうと思っていた。だって、コーデリアは『ふつう』ではなかったから。その時はまだ自分の正体を知らなかったけれど、変な力を持つ人間に好かれたら、きっと何かの業を背負わせてしまうと思ったから。
でも、ここに至っても尚、コーデリアをただの――『ふつう』のドラグナーとして扱う人物がいた。
その人は、いまのコーデリアにとって、安心出来る存在に、なっていた。
「ジル、ちゃんが――すきかも、って」
メイと一緒に、いつも全力で助けてくれた。
ずっと傍にいて、見守って、気づかって、労わって、そして、そして――。
思い返すたび嬉しくなるはずの恋の思い出は、いまのコーデリアには切り裂くような悲しみをもたらした。
「わたし、歪んでる」
苦しかった。
だって彼はライトエルフで、コーデリアは肉体的にはヒューマン。
その結びつきは本来、『女神に』忌避されるはずのものなのだ。
「わたし――」
また、涙が溢れ出る。
力はまるで足りていなくて。だからといって、ドラグナーとして地上にも行けなくて。
好きになってはいけない人を好きになって。
人として、女神として。自分はどうしてこうも半端なのかと――。
「コーちゃん! まだベリーあるよ! だいじょうぶ!!」
「あめあげる〜」
「おかしいるかー?」
慌てて袋からベリーを取り出すアンリルーラ。テオ(
tj2530)もまた、抱える袋から星形のクッキーを取り出した。
その様子があんまり可愛らしいものだから、コーデリアは笑ってしまった。
「ありがとう、たべるー」
「食い意地‥‥」
ライトニングが意地悪く呟けば、ぶーたれた表情が帰ってくる。
「食べるなら、これもどうぞです」
ミラベル・メルティーア(
tb9768)が竜宮タルトと魔法の四季の花束を差し出す。
「え、花束も食べるの?」
「普通なら一時に揃うことのないものが天竜宮のお陰で1つになっています」
半端なボケをさらりと受け流すミラベル。
言われるままに貰ったものを覗き込めば、2つは確かに天竜宮だからこそ成しえる不思議な存在だった。
「小さな器だとすぐに染まってしまいます。大きくなると簡単に染まりませんです」
次にミラベルは小さな器を取り出して、そこに貼られた水へ絵の具を1滴、零した。言うとおり、水は絵の具色に一瞬で染め上がる。
だがもし水の量が、もっともっと多かったなら。
「雨が降り川が流れ海に注ぐように、1つに繋いで循環すれば穢れを受け流せます?」
シフールたちの顔には、一様に「?」と書かれている。
「そうだね皆で力を合わせれば、普通では難しいこともできるということかな」
ヘルマンが通訳すると、今度は一様に表情が明るくなる。
「そっかー! おれーたちも、いっしょにおいのりーってしたら、ちからになれるかなー?」
「ねえねえ、コーデリアはコーちゃんだったんだね〜」
テオもぱあっと笑顔を花開かせ、「女神さまに会ってみたかった」とシャインアイも華やかに笑う。
「コーちゃんは、シフールで〜。それなら、きっとみんな、どこかであったこと、あるかもしれないね〜!」
「そうだね。シャインベリーちゃん」
「え〜?」
こくんと首を傾げて、シャインアイは不思議顔。
「またみんなで、うたっておどってえがおになったら、コーちゃんのおてつだいできるかな〜」
「あ! しあわせーのかけら、つかうのはどーかなー?」
幸せの儀式の話から着想を得て、テオがぴっと手を挙げる。
「コーちゃんがうれしいとボクもうれしい。みんながしあわせだとボクもしあわせ」
一緒の気持ちは力になる。アンリルーラが嬉しそうに両手を広げた。
「それってすごいよね! おなじきもちのひとがいるとほかのひともおなじになるの!」
伝播して、増幅される気持ち。それは力の源になるだろう。そのために、幸せの欠片や幸せの水晶を使うのは今までもやってきたことだし、今回のケースにおいても有効に思われた。
‥‥色々試してみてくれるのは嬉しい。
でも。
それを使って、どう、するの?
「コーデリアさまはどのようにしたいです?」
ミラベルが尋ねる。
「コモンが愛し子です? 親は我が子が立派に成長して自分を越えて行くのが楽しみです」
実際に子を成しているミラベルの言葉は、実感がこもって温かい。
「それでも子供が未熟で過った時は、過ちを正して成長できるよう手助けします」
「そうだね」
むむ、と唸るコーデリア。では手助けとは、何を示すのだろう?
ドラグナーたちの力になりたい。それは確かなのだけど。
「当事者だもの。悩むに決まってるわね」
アイリス・フレイン(
tk8381)が助け船を出す。
「でも、あなたが女神候補なのもきっと理由があるし、必要とされたから今の時代に目覚めたと思うの」
世界の危機だからとか、何かの節目だからとか‥‥そういう理由かもしれないけれど、それでも。
「誰かに必要とされてるなんて羨ましいわ」
「?」
ぽろりと漏れた本音めいた言葉に、アンリルーラが不思議顔。視線に気づいたアイリスは、こほんとひとつ咳払いをして。
「あの夢の中で見た光はきっとあなたの力よね」
アイリスが言っているのは、ドゥーミン島でのことだ。夢の中に現れ、ドラグナーたちを後押しした謎の光。あれは確かに、祝福の力だった。
「あなたが未熟だとしてもあの時みたいにドラグナー達が広い世界に希望をきっと伝えるわよ」
「――あ」
独り善がりな意識があったことを思い知らされ、思わず声が漏れ出る。
そうだ。未熟なのを知りながら、自分1人で全てを解決しようとしていた。
「俺にはコーデリアのぐるぐるしてるきもちがよく分からない」
ストック(
tk7069)が言葉を重ねる。
「けど‥‥ここに来た子はちゃんとまっすぐコーデリアをみてる」
アイリスは痛いほどまっすぐに。
何が正しいかなんて後でいい。その前に、やりたいと願うことをやるべきだ。
「だれかにささえてほしいなら、てをとればいい。ためこんでるものがあるから、おもうままにうたえばいい」
言葉が無くても、音に乗せて。
「みんながちゃんとリードしてやるから」
アイリスを見る、コーデリア。
彼女はしっかりと、頷きを返す。
幸せの水晶、幸せの欠片。ある限りのそれらを集めて、七精門の周りを固めて。
改めてコーデリアは、七精門に触れる。ひんやりとしたそれは、各地へ行ったドラグナーたちを定刻に呼び戻す力を持つ。つまり門を潜った者と、魔法的な繋がりを持っているはずだ。
地上に降りて行ったジルが心配だ。
他のドラグナーたちだってそうだ。個人として大好きだから心配な人もいるし、同じように誰かを心配する誰かがいることも知っている。
「女神さんも郵便屋さんみたいなもんかもしれへんなぁ」
クヴェン・コーヴィン(
tk2115)の言葉に、心が賛同する。
自分の想いを、そして誰かの願いを、頑張る誰かに届ける。それが、いまのコーデリアにできること。
半端な女神一人では、世界を救えないけれど――。
「きもちがたくさんあつまって、なんでもできるようになるのだよ!」
幸運の妖精たちが歌い踊る。ふわふわ、きらきら、優しい燐光を振りまきながら。
「大丈夫。だから信じて祈りなさい!」
あなたのためには、私が祈りを捧げるから。
アイリスの激励。言外の優しい想いにまで、コーデリアはうんと大きく頷いて。
「みんななら、世界を助けられるって信じてる!」
みんなの歌を取り込んで、みんなに合わせて歌を零す。
危ない場所で戦う、誰かの大切な誰かへ。
想いよ――どうか、届いて。
◆不思議な光
何より一番大事なのは、希望を持つこと。
「大丈夫、必ず治るわ」
不安げな子どもの頭を撫でるパシフローラ。彼女は優しい笑みで、体調不良を押し隠していた。
恐らく、黒化病が伝染したのだろう。だが不安な表情を見せてしまえば、彼らもきっと不安がる。
大丈夫、大丈夫。自分に言い聞かせるように、そう言っていた。
「どうしてかしら」
ふと気づく。
先程まで感じていた悪寒が、取り払われていることに。
不思議に思って辺りを見ると、セレンと目が合った。彼女もまた不思議そうな表情をしており、先程までよりも血色のいい頬をしている気がする。
(――守られたのかしら)
内なる精霊か、或いはもっと大きな何かに。
密やかな奇跡を感謝しながら、2人は目の前の対処へと戻る。
◆混沌の魔物――カスティラ2
「ぐ、う」
零れる苦悶。カオスによって歪められた魚は縦横無尽に水中を泳ぎ回り、エッダとダーヴィトを傷つけていく。
カオススポットを求め、広大な海に潜った2人。水中には辿るべき足跡も残らず、スポットの所在の特定は困難に思われた。だがエッダは機転を利かせ、潮の流れを読み切った。水中を蠢くカオスがどこからやってくるものか見定めたのだ。
そうして流れる水を辿り――スポットを見つけた。それはいい。だが、それは多くの水や生物が経由する、潮の流れ着く場所に存在していたのだ。
(よりにもよっていや、だからこそ、か)
何かが流れ着くということは、怨嗟や苦悩の欠片も流れてくるのかもしれない。だからこそここにスポットができて、多くを変容させていくのかもしれない。
波に巻き上げられるように、深海の闇から浮かび上がってくるシルエット。ぶよぶよとしたそれは、恐らく元は海底で静かに這う軟体生物だろう。それはゼリー状の身体を歪め、何かを放出した。
「酸だ」
水で薄まり広がるそれは、純粋な状態よりも威力は落ちるものの、どこに散ったか分からない。ふと吸い込んだ水に強烈な酸を感じ、エッダは大きく咽返った。
だがゆったりとしたその動きなら、振り切ることは容易いだろう。
場所は特定できた。封鎖は次の機会でいい。取って返して水面へ上がると、やがて煌めく空が2人のメロウを迎えた。
「げほっ、げほ」
酸に咽るエッダの背を叩き、ダーヴィトは真剣な面持ちで水底を見る。
やっと見つけた海底のカオススポット。
封鎖するのは骨が折れそうだ――
◆混沌の魔物――ウーディア2
試したい。そう言って、ジュリエットはカオススポットへの接触を試みた。
オートマタの――カオスを宿す自分なら、スポットに触れても大丈夫ではないかと考えたのだ。危険な賭けだが、本人の意思だ。経過を見守る、仲間たち。
「‥‥何か、手掛かりがあれば‥‥」
そっと歪みへ足を踏み入れるジュリエット。
途端に、身体を掻きまわすような衝動が彼女を襲った。
駆け巡る悪寒と、吐き気と‥‥何かを書き替えられるような感触。出ようとするも、足がすくんで動けない。
「まずい」
焦るカーム。だが中に跳び込めるわけでもない。何かひものようなものは、括りつけて引っ張ることはできないか。
(――このまま、カオスそのものに、なっちゃうのかな)
だとしたら。
ゾークやカームに悪いな。メイベルやツヴァイなら、きれいに倒してくれるかもしれないけど――。
そんな考えすらも、意識ごと薄れてきた頃。
バキン、と何か硬いものを弾いたような音が響いて。
「――っ」
真っ青な顔で、ジュリエットが歪みから転がり出る。呼吸は浅く早く、頭は中身をぐちゃぐちゃに掻き混ぜたかのように混乱している。
「大丈夫か」
「うん‥‥ごめん」
ジュリエットは、無理をするつもりなど全くなかった。
危ないと感じたら即座に出るつもりだったのだ。にも関わらず、抗えないほどの恐ろしい衝撃。
そんな暴力的な恐怖から守ってくれたのは‥‥女神を介して届けられた誰かの祈り、かもしれない。
ユトリィたちもまたカオススポットを発見し、周囲のカオスモンスターを討伐し終えていた。木々は主にクレドが威力の高い攻撃を叩き付け、細かく動き回る獣にはラキュエルが効果的にあたった。
シズネ・カークランド(
tk1515)もまた、獣退治に大活躍した。ミタマギリによる魔法的な力の衰退、そしてミコトによって付与された死を招く能力――獣へ優先して繰り出された短剣は、一撃で獣の動きを止めたのだ。
「カオスに立ち向かうには精霊の力ってね!」
暗い空気になりがちな中で、彼女が明るく強く前を向いていたことも、仲間たちにとっては大きな助けになったことだろう。
森の中のカオススポットは、全部で2つあったようだ。それぞれがかなり大きく、封鎖にはかなりの資材と労力が必要だろうと思われた。ラキュエルが戦いで使ったネットを回収しつつ空を飛んで、近くの人里から封鎖のための資材を分けてもらえないか頼みに行く。
その間、残ったドラグナーたちは目の前のスポットを見守っていた。動物や植物が入り込むのを阻止するため、注意深く観察する。ウルなどは連れてきた風竜の背に乗り、空から鳥が近寄るのを阻止してみせた。
――闇が凝縮されたかのような、濃厚な嫌気を催す空間。
(あちらは大丈夫だろうか?)
遠く離れた地で病魔と闘う友人を想い、シルトは空を見上げる。
闇に染まっているとも思えないくらい、空は青くて、平和で‥‥。
「コモンも勿論そうだけどさ」
ユトリィの呟きに、ファーエル・ラスティード(
tb8822)が振り返った。その瞳は歪んだ空間から一時も離れず、ただゆっくりと瞬きを繰り返している。
「動物だって本当は普通に暮らせてたはずなのに‥‥」
‥‥倒してきた獣たちだって、本当は伸びやかに暮らしていた筈だ。
鳥も、木々も。命を歪められて、奪われて。
「嫌なんだよ、そんなの」
何もかもが平和に過ごせたら、いいのに。
試しに放たれたウルのピュリファイでは、カオススポットに変化は見られず。
ファーエルが手近な木々を切り倒して資材とし、錬金酒を振りまいて動物の嫌う匂いを付ける。慎重に、少し大き目のサイズで組み上げ始めたところで、ラキュエルが資材を運ぶ近辺の村人たちを連れてきた。
端材でユトリィが案山子を作り、多いの天辺に突き立てると、緊張感のない光景に仲間たちが笑う。
仕上げに、近辺のハーブや持参した香油をべたべたと付けて。
「これで、もう大丈夫かな」
二度とここに変異生物が現れないように。
祈りを込めて、ユトリィは木材をペンと叩いた。
◆集められた欠片
地上では13日後――天竜宮では数時間後。
七精門の前へ、新素材の採取へいった者たちが続々と戻ってきた。
まずは、タビア・エルシャミィ(
tk1799)と、彼女の移動を助けるために付いて行ったエターナ。
タビアの希望で、2人はファンシェンに行っていた。だが結果は芳しくなく、目的の物品は見つからないまま時間切れ。エターナのライアンで、戻ってきたというわけだ。
「ごめんなさい」
「いいえ」
付き合わせてしまったと罪の意識を感じて、頭を下げるタビア。しかし、エターナは笑う。
「行き来の効率化を図るのが、未来への水先案内人たる私の役目」
タビアが求めたのは、『陰陽』『太極』というファンシェンの思想にまつわる素材。カオスを陰と見なし、それを操ることができればと考えたのだ。
タビアの語る素材が本当に見つかったなら、もしかしたらローレックの研究員たちの頭をも刺激して、最高の結果を導けたかもしれない。
結果は振るわなかったが、挑戦には意義があったと思いたい。
まずは常冬の領域に行ったリン・コンルゥ(
tf7157)とジルヴァ・ヴェールズ(
tj8140)から。
「戦うか隠れるかくらいしかできないかなと思ってたんだけどね」
意外や意外、素材となりそうな物品を多く見つけたのはジルヴァの方だった。彼の鑑定眼は、真っ白な雪原から魔法的効果が宿っているかもしれない物品を選び取ることに非常に適していたのだ。
「んっふっふ、万屋リンさんにお任せだよ! ばっちり解決してあげる!」
「うん」
何か言いたそうに口を開いて、結局曖昧に笑うジルヴァ。そういう魔法的効果とはいえ、水着姿の女性と雪中行軍は中々に愉快な体験ではあった。
砂のようにさらさらとした雪を掻き分け、水辺に張った分厚い氷の上を進み――そうして見つかったものは3つだ。
常冬の結晶。くっきりと大きく美しい形をした雪の結晶。
常冬の万年氷。澄んで美しく、向こう側が透けて見えそうだ。
そしてキラーペンギンのたてがみ。あのツンツンした部位はたてがみと呼称するので合っているのだろうか?
万全な防寒対策を積んだ2人だからこそ、集められた良品ばかりだ。
「色仕掛けが通用しなかったのだけが心残りかな?」
「ペンギン相手じゃあ仕方ないんじゃないかな」
十分、目のやり場には困ったけれど、ね。
続いてはドゥーミン島へと向かったアーシェ・フォルクロア(
tj5365)、ナヴィ・アルティシア(
tj5711)、そしてギゼル・ファルソ(
tk8225)。
「思っていたのとは全く別の意味でキツかったけどね」
「何か、お怪我を?」
気付いていなかった。驚きとともにギゼルを見つめるナヴィ。アーシェもまた、作ってあったスノージュエルを手に取るも、当の本人は手を振って。
「当てられっぱなしでさ。敵わないよねぇ」
顔を見合わせるアーシェとナヴィ。2人はTPOを考えずにべたつく夫婦ではないが、こうした所作のひとつひとつに互いへの信頼や親しさが滲んでいるのだろう。
ともかく、ドゥーミン島で見つけたものは2つだ。
マゴニアの結晶。これはマゴニア文明時代のものらしき魔法的力が篭った半透明の石だ。
ドゥーミンの寝息。こちらも結晶体だ。
「後者はまあおまけのようなものか」
あまり求める効果に近そうな物品は、見つからなかったようだ。
ふと、辺りがざわついているのを感じ、ドラグナーたちは辺りを見回す。
どうやら地上を行ったサクヤの船が戻って来たのだ。小走りに駆けてくるサクヤとセレスタイン、そしてアルビレオ・マクレーン(
tc7812)。
「ネーは?」
一緒に行ったはずの羽妖精の姿が見えず、エターナーが不思議がる。
「地上を飛んだ方が早いかもしれんからの」
尋常ではない速度で飛び続けられる、ネー。天竜宮へ帰島する際にトラブルがあれば間に合わなくなる可能性もあったため、得た素材の一部を持って、ネーは現地から直接ローレックへ飛んで行ったのだという。
「ネーちゃん おくすりーローレックー とどけるー ぜったーい」
厳しい旅になるだろうが、遥かな昔に地上にもシフールが多くいた頃は、かの種族は郵便配達を行っていたと聞く。中には超長距離を問題なく配達する個体もいたとされるし、何より本人が飛ぶと言ったのだからきっと大丈夫なのだろう。
「それより、持って来たものを見てはくれんか」
アルビレオがみんなの前に取得物を広げる。
まずは、秘境の朝露。小瓶に収められた水は、カオスの跋扈する地上においてもなお美しさを保ったままの泉にて採取したものだという。
高山の雪。これはデヴァドルゥガ近辺で採取したもので、誰も踏み荒らしたことのない美しい白さだ。こちらも小瓶に入れた上で、アルビレオがアイスコフィンで閉じ込めた。
そして、高山植物の根。地属性かもしれないという話を聞き、やはりデヴァドゥルガ近辺の山を見回って、最も高い場所に生えた植物を採取してきたのだ。
「骨が折れましたよ」
採取にあたってはセレスタインの土地勘、そしてアルビレオのレジストウォーターが大いに役に立ったようだった。
そして最後は、天の岩へ向かった者たち。
地上にあった頃の威容を思い起こさせるその地域へ向かったのはシェーリア・カロー(
tk5515)とシーキ・シュンラン(
tk5529)だった。
広大な地域の捜索には時間が足りず、採取されてきた物品は、1種類。
天の岩の欠片。何かの拍子に自然と零れ落ちた、小さな石ころだ。
「天の岩の中でも、黒い筋が入っている欠片を採取してきたの!」
シェーリアが言うと、セレスタインが横からそれを覗き込み、こう言った。
「これは、雨水の通り道が変色したんでしょうね」
「分かるの?」
「鉱物の知識はありますから。少しですが」
「シェリーの言ったとおりに集めて良かったです」
喜ぶシーキ。エンダールである彼女は、採取の際シェーリアに手ほどきを受けたらしい。ただの石ころではなく、そうした何かが付帯したなら、もしかしたら素敵な魔法的効果が引き出せるかもしれない。
得たそれらを取り纏め、まだ七精門を潜っていないドラグナーを呼びつけて運搬を頼む。
この材料が、未来の希望になると信じて採取班は、最早祈るのみだ。
◆差し込む光
届けられた材料からどんな力を引き出し、どんな役割を担わせるか。
1日半という僅かな時間で、ローレックの錬金術死たちはフル回転。
そしていよいよ、実験の時がやってきた。
できあがったのは4種の薬。集められたのは3種それぞれの患者が複数名。
重篤な黒化病患者には自主的に薬を飲ませる。悪魔の花が咲いた者は拘束して、紅の花弁に水で溶いた粉を垂らす。そして
「お願い」
効いてくれ。お願いだから――シースの祈りは深い。まるで自分が罹患しているかのように、額から汗を流し、緊張に胃をきりきりとさせて。
彼女の提案した薬は、失敗したら特に影響が大きい。何せ、身体を癒す力は一切ない。破壊の力が宿主であるコモンに向かえば、たちまちその命が砕け散ってしまう可能性すらある危険な品だ。
だが、だからこそ。上手く行けば、花の生命だけを途絶させることができるはずだ。
患者は、既に大分、花に生命力を吸われているようだった。
(大丈夫です。一生懸命考えて、人体に使う前に実験もしてきました)
改良もした。コモンと悪魔の花を分けられるよう、闇の感知や結界の素材がシンクロアルケミーも用いて追加されている。
患者の生命力を、信じて。
薬の垂れた箇所は、茶色く変色した。染みのようなそれは徐々に広がっていき――そして。
やがて花は水気を失って細くなる。
「い――痛い!! いやあああ、痛い! 痛い!!」
意識を取り戻した患者は、頭に残った根がもたらす痛みに悲鳴を上げ始めた。それはすなわち、悪魔の花が死滅した証拠でもあった。
「落ち着いてください!」
思わず、シースは跳び込んだ。
本来ならば危険な行為だ。だが彼女には確信があった。うずくまる彼女の頭部、そこで枯れる花をハオリの袖で払い落とす。
すると――。
ふわり、と。まるで乾いた土から抜け出るように、枯れた花が粉々に粉砕される。
「――」
患者は痛みに気を失った。頭部には根の形の穴が開いて、そこから血が溢れてだす。アナスタシアが即座に駆け寄り、傷口を手早く洗浄してクローニングを施した。すると、みるみるうちに傷が塞がる。
「やった?」
緊張しながら、シースは患者の手首に触れる。
「よかったやった! よかったです!!」
涙を零れさせるシース。
それは――命の証とばかりに確かに脈打っていた。
黒化病の薬に関しては、シエルたちの発案した薬に関しては芳しくなかった。見つけ出した素材の中で、天の岩の欠片が清浄の効果を発揮した。だがその力はあまり強くないようだ。
症状の減退は見られた。何かもう一歩――掛け合わせる何かを工夫して効果を強めるなり、新たな清浄素材を見つけ出すなりすれば、根治の薬として花開くかもしれない。
一方、ソディア発案の薬は、根治ではなく症状緩和の薬としてよく効いたようだ。肌の黒化はみるみるうちになりを潜め、他の症状もぴたりと止まって、患者は涙を流して喜んだ。
だがその実、これは一時的に症状を押し留める薬だ。シエルらが発案した根治の新薬が開発されるまでの繋ぎとして運用されるだろう。
そして、カオス化対策の薬。
症状は確かに遡行した。古びた翠玉の碑文が強力な効果を発揮し、カオスに変容していこうとした身体は真反対の経過を辿った。ゆるやかにゆるやかに、カオス化が抜けていく。
だがこちらは薬の効果が切れるのが早く、定期的に投与し続ける必要があるようだ。また、あまりに症状が重篤化した場合――もはや変容する箇所がないほどにカオス化が進行した患者には、効果がないようだった。
どれも普及や発展までには時間が掛かることだろう。だが、どれもこれも打つ手の無かった世界の惨状に対して、画期的な存在となる。
救われる兆し。絶望に差し込む一縷の光。その報は、世界を大きく揺るがした。
◆希望
やがて、タイムリミットが迫る。
もう少しで帰らねばならない――セツナたちは最初のように患者たちを集め、その事実を説明した。
大きな落胆が場を包む。悲嘆に暮れ、泣き出す者すらいた。
「みんな、聞いて。もうすぐ、黒化病の進行を止める薬が届くはず」
その噂は、ドラグナーたちの間を点々と飛び交い、セツナたちが逗留する町にも届いていた。
「薬は平等に配られるわ。あなたたちは、自分の力で治っていけるのよ」
セツナたちがした医療行為は、患者たちに希望を与え。そしてどうすれば抗う力を得られるのかの手本となった。
「絶対に、打ち克てるから」
必ず救う。その宣言は、例え帰らなければならない身だとしても嘘ではない。
セツナが残した手法は、想いは、希望は。死の未来しか見えていなかった患者たちを、確かに救っていたのだから。
◆これからを
斯くして、15日間の奮闘は概ね順調な結果を残して終わる。
怒涛の日々が区切られ、胸を撫でおろすコーデリア。
「そういえばー」
ふと、その頭上からジンジャー(
tk6688)の声が降ってくる。
「コーちゃんが、いっつも大事そうにしてるお手紙入れがあるよね。あれ、何が入ってるの?」
「これ?」
問われるままに、彼女は胸から下げた緑の筒を開け放つ。
それは羊皮紙だった。独特の獣臭さを漂わせ、端はボロボロになっている。
「これね、コーが持っているときだけ、薄く何かが浮かぶの」
どうやら魔法の品であるらしい。
「前にメルちゃんに聞いたら、大異変のときの遺物だ、って言ってた」
最早、いまの時代に意味を成すものではないけれど記念に取っておけばいい、と。
――それは、大異変の時代。女神の長がシフール・コーへ、女神候補へと渡せと言われて預けられた手紙。女神候補が手にしたときにだけ、文字を浮かび上がらせる魔法の手紙だった。
メルがコーデリアを女神だと判じる切っ掛けとなった道具だがいまとなっては、それだけだった。
筒へ手紙を仕舞い直すコーデリア。その視界の端に、友人メイが映る。
だが、その表情はどこか浮かないもので――。
「どうしたの?」
聞きながらも、沈む理由は薄ら分かっていた。
コーデリアは大異変の前に立ち返るのは違うと考えている。それはすなわち、メイの夢が遠のいたことも意味している。
メイの夢それはセントールや動物たちのように自らの胎に子を宿して産み落とす自分、ひいてはそれがポピュラーな行為である世界だから。
でも。
「メイちゃんの夢って、昔に戻らないとダメなわけじゃないよね」
多分、そう。
大異変の前はメイの望む在り様だったらしいから、その頃の仕組みに立ち返るのは有効な方法論の1つではあるけれど――精霊界の加護なき今も、セントールや動物たちは子を女の胎に宿し、産むことができている。
遠のいたことに変わりはないけれど、可能性がなくなったわけではない。
――カオスの元凶は、人が生きる内に蓄える業だという。
「ソディアさんの案とか、そこから派生したホーキポーキさんたちの話とか、ヒントになりそうだったね」
「そうそう!」
メイが前向きな態度を見せれば、相手の顔も明るくなる。
黒化病に対してソディアが出した案。病の元を浄化する、
けれど、業が溜まりゆくばかりなら、いつかは結界に閉じ込めきれなくなくなる。結界から溢れて身体へと浸食したなら、きっと不可触民として生まれてくることになるだろう。
難しい問題だ。答えはまだ、分からない。
「まだまだ全然、先は見えないけど」
呟くメイの肩に、コーデリアがぐりぐりと頭を押し付けてくる。友愛の篭った仕草にちょっと笑って、メイもまたコーデリアの頭に自分のそれを乗せて。
「諦めたくないよね」
圧倒的な形で迫ってくる闇。それを打ち払う方法はあるはずだ。
捜そう。そして、抗おう。
幸せな未来を、素直な気持ちで生きるために。