◆ドゥーミン島にて
砕氷船ポラール号が北氷海の凍り付いた海を切り開き、たどり着いた北の果て‥‥
そこはフロストアイランドのごとき凍り付いた命芽吹かぬ白の世界ではなく、青々とした緑に溢れる世界だった。まるで肺も凍るような高き高き空にあって常に暖かな常春の天竜宮のように。
ドゥーミン島。
不思議な生き物、ドゥーミンたちの暮らす島。大発見に興奮するヘルヴェティア大学府の研究者らと共にドラグナーたちは歓迎を受け、彼らが見せる『夢』を楽しんでいたはずだったのだ。
「ふむ‥‥大変な事になったものだ」
「一応信用してたのに、裏切るとか。許さない」
混乱と乱闘の脱出劇で乱れた衣服を直しながらルタ・バクティ(
tk8199)が静かな声で現状を再確認し、瞳を座らせたイルメラ・フォラント(
tk6085)が低い声で呟く。
「武器は取り上げられても、俺たちの爪は無理だったみたいだな。ハハ! こういう時こそ自分の身が誇らしくなるぜ」
「剣を奪ったくらいで私を抑えたつもりでいるから、ああいう目を見る」
ヴォルベルグであるグレイ・フォスター(
tk2122)の肉体はそれだけで一つの脅威であり、錬金褌の力を借りたジン・マキリ(
tj6129)の放つ手刀や蹴りは刃の鋭さをもって異形の存在を切り裂いた――彼ら彼女らの奮闘が、ドラグナーに脱出するチャンスを与えたのだ。
ジンはその場で異形を血祭りに上げてやろうとしたのだが、連中の足下には拘束された仲間たちがいた。身動きの取れない仲間が乱戦の中で踏み殺されかねないとも限らず、拘束から逃れた仲間たちが逃走するための血路を切り開くために凶器と化した手足を振るったのだが‥‥
「‥‥しかし、妙な連中だったな。死体を足蹴にしても感情を乱す素振りも見せなかったぞ」
相手の心を乱そうと、ことさら残虐な振る舞いと発言で神経を逆なでようと試みたジンは手応えのなさを思い起こして口を歪める。
「どうにか捕まる前に脱出できたが‥‥まずは奪われた武具の奪還と仲間たちを解放しなければならんな」
追っ手がかかるのを危惧して相手の動きを計っていたデューク・レイクウッド(
ta8358)だが、追跡や掃討に異形が差し向けられてくる様子がないことを確認し、次に移すべき行動を思案する。
「でも‥‥不思議ですね。周りは氷の海なのに、この島だけは暖かいなんて」
まずは武具を奪還し、兄と仲間たちに渡さなければ。そう考えるデュークの傍らで、妹であるアーシャ・レイクウッド(
tb5897)は不思議そうに言う。極寒の嵐が荒れ狂う北氷海のただ中にあって、ドゥーミン島の夜は穏やかな春のように過ごしやすい。そのおかげで、寝間着一つのような状態で逃れても凍えずに済んでいるのではあるが。
「クク‥‥学者先生の割にゃヤる事が過激だなァオイ。まァそッちがソノ気なら愉しませてもらうぜ」
バイオレンスもエキサイティングもない退屈な時間に飽いていたツヴァイ・ドラグリア(
tg1256)は、この状況にあっても不敵に笑い。キョウ・ミツルギ(
ta0035)はツヴァイの言葉に首を横に振る。
「学者らだけでこのような策を考えたとは思えん、扇動した黒幕がいるな‥‥」
かつて軍に在籍していた経験のあるキョウは状況を俯瞰してそう結論づけた。武具や魔法の発動体こそ奪われていたが、妻であるレア・ナチュール(
ta1113)が手にしている暗殺者のリボンのような一見アクセサリーにしか見えないような暗器の類いや、特殊な効果を持つジンの下着のようなものは見落とされていたか、あるいは手出しをされていなかった。場慣れした者ならば犯さないミスだろう。
加えてタウザー博士やパーゼン教授の伴っていた異形の存在。黄昏残党の差し金か、それともロキと名乗った闇の住人の策謀か。いずれにせよ学者の生兵法とは思えない。
「正直なところ、なにが起きたんだかさっぱりだが‥‥大人しくしてられる状況じゃないだろうな。まずはみんなを解放しないと」
「‥‥とりあえずは敵戦力を殲滅し、形勢を逆転せねばならんか。ポラール号も奪還せねばならん」
眠りから覚めていきなりの展開にまだ頭が追いつかないラキュエル・ガラード(
tb2724)の呟きに、イデアール・ヴェルト(
td9857)も現状の打開を考える。
「オートマタでヴォルセルク‥‥装備が無くとも多少は戦えるのは不幸中の幸いと言うべきでしょうか?」
望んで得たものではないとはいえ、このような状況では状況を打開する力となり得る。
「え、なにこのヴォルベルグは気張りドコだぜ! みたいな空気‥‥やっぱオレ様もヤんなきゃダメ?」
「持って生まれた資質って奴だ、諦めな」
オートマタであるルドヴィーク・クリシュ(
tk6952)とはまた違うが、ヴォルベルグもまた奪われることのない牙と爪を持つ。期待を持って向けられる視線にリベラ・ルプス(
tk7277)は居心地悪そうに身じろぎし、そんな彼の肩をグレイが叩く。
「さて、人質救出と同時に進めておきたいことがあるんだが。武器や武具の奪取だ。素手や魔法で戦えるヴォルセルク、ヴォルベルグ、ナーガとは違い、他は魔法媒体がいるだろう」
カーム・ヴァラミエス(
ti5288)の提案に、ゾーク・リジェクト(
ti5670)は不敵に笑う。
「武具を奪った程度で双騎士は止められんよ」
「回復してくれるエンダールはなおさら必要だ。長期戦となる可能性もあるからな」
相棒の言葉に口角を上げて応じたカームの主張に、シュウ・カチヅキ(
tj2357)も同意する。
「反撃のためにも、やっぱり武器は必要ですね」
体勢を立て直したドラグナーたちが次に起こすべき行動を思案する中、シズネ・カークランド(
tk1515)は敵の動きの鈍さに首をかしげる。無力な状態のドラグナーを殺害しなかった甘さ。逃亡に成功したものに追っ手を放たない手ぬるさ。そもそも、博士や教授らはどうやってドゥーミン島から回収したマゴニアの魔法装置や知識を運び出すつもりでいるのだろう?
「ん〜‥‥いくら不意を突いたとはいえ、ドラグナー相手に随分と余裕だなぁ‥‥こりゃなにか逃げるかデカイ一撃の算段があるのかな?
なんにせよ装備とポラール号の奪還は急いだ方がよさそうだ」
◆根源問答
「いや下手なことやったもんだね♪」
もぞもぞと身を動かしていたエルマ・シュタイアー(
ta6051)がタウザー博士に話しかける。
「ドラグナーが反対っぽいとはいえ、研究はそっちの土俵だ。適当に誤魔化して持ち逃げちまえばよかったのに。それとも、ごまかせないほど明らかな問題があるとか?」
「タウザー博士、あんたたちもつくづく学者馬鹿ですね。理念の正否以前に、いきなり力づくの悪手を選ぶなんて。先に派手に広報打っとけば、こちらもそう簡単にゃ手を出せなかったかもしれませんよ?」
挑発するようなマリク・マグノリア(
tb9365)の物言いに、博士は首を横に振った。
「望ましい展開でないことは承知しています‥‥仮に天竜宮が技術の破却を選ばなかったとしても、これだけの発見です。研究はローレック市国で行われるでしょう‥‥ヘルヴェティア大学府は魔法技術関連は専門ではありませんから。そうなれば私たちの手は届かなくなります」
「ポラール号が作れるのに?」
エルマの疑問に、博士はカンニングを見とがめられた生徒のような顔をする。
「‥‥あれは本当は、三賢者派の技術なのですよ」
彼女の本心としては、女神もまた世界を救うことができるか怪しいのではないかという危惧がある。破滅を回避するための手段があるとしたら一つでも多い方がいいに決まっている。探りを入れると同時に、そんな旨い話があるものかと怪しむ自分がいることも自覚の上で。
「まあ、内容は置いても、女神教会と比べて生臭すぎます。もし今はコモン化だけでも、将来的にどうなのか。現時点で既にあんたたち、一枚岩じゃ無さそうですし。それにもし『コモン』のルミナの才が必ずしも継がれない場合、あいつらにどう対抗していくか。そういうのは『される』当事者含め考えるモンじゃないですかね?」
「興味深い示唆です。確かにルミナの才については懸念事項ですね‥‥ですが、コモンヘイムが滅びてしまえばデュルガーの心配をする以前の問題でしょう?」
「なるほど、大した目的だな。AOSにて多様化した‥‥その、形にて恩恵をあやかった者には絶望でしかない」
「コモンクルスがコモンに戻ると言うのも、素敵なお話ですね。でも、コモンに戻ったら、異種族と子を作る事が出来なくなる‥なんて事は無いのでしょうか‥‥?」
どうしても咎めるような刺々しい物言いになることを、ヴァイス・ベルヴァルド(
tk5406)は止められない。エミリア・ユーリ(
tk5497)の疑問に、博士は首肯する。
「原則的にそうなるはずです。エルフとヒューマンの間にハーフエルフが生まれるように、血が混ざり合うことができる種族であれば別だと思いますが‥‥安心なさいましたか?」
「別に、そんなことはない。子孫を残せなくなるかもしれない多くの人々のために言っている」
ヴァイスは心外だとばかりにふいっとそっぽを向く。
「私個人としては、博士さん達を天竜宮へエキスパートとして迎えて、マゴニアの装置や他の遺跡の解析をして欲しいと思っています。マゴニアは精霊と共に在った時代のムーの一部、それなら装置そのものの扱いを間違えなければ、女神教の教えには反しないと思いますよ。その辺はメル様と直接交渉しなければなりませんが‥‥」
「‥‥それが叶えば、どれほどいいか。ですが、この千載一遇の好機を失うかもしれない可能性は避けなければなりませんでした」
「ココね、難しいことってよくわかんないんだけど。でも、海で育って、風を探して‥‥知覚で世界を感じてる大自然の子だから。時々考えるんだ。世界のあり方みたいなの」
ココ・ルルノン(
tj1611)は博士に語りかける。
「雄と雌で交接‥‥って言ったよね? 聞いたことあるし、形としてはそれが正しいのかもしれない。でも、形だけ整えても解決するのかな? 漏れ出なくなっても、やがてカオスは人の内に積もって‥‥世界はそれで回るのかな? ココ、大切なのは、身の内でのカオスとの共存な気がするの。インドゥラでも言うし、カルラさんの言う『夜』って予測も少しはわかるから。ねぇ先生。ココたち一緒に道を探せたりはしないのかな?」
タウザー博士は沈黙し、難しい顔で考え込む。
「フェッフェッフェ‥‥なるほどのぅ、お主らの目指す先はそこにあったか」
どこかねっとりとした口調でシネラリア(
tj2817)が笑う。
「しかし人がケダモノのように肌を打ちつけ合う交尾で子を成す世界に戻すのは、果たして進化と言えるのかぇ? 確かに今のAOSにはカオスや不可触民といった問題がある、じゃがこの技術そのものは進化じゃよ。お主らはそれを戻すと? ‥‥ああいや、妾は別に否定はせんよ。妾はな、人の情欲を愛しておる、アレは心の熱、命の炎じゃ、その果てに子を成す世界となるならソレこそ本来在るべき姿じゃろうて」
「違います、それがコモンの有り様だっただけで、目的ではありません。コモンヘイムを破滅の運命から逃すには、AOSからの脱却が必要なのです」
「私は信じるわよ、だって男女の営みから子を成すなんてステキだもの。もちろん今の様に愛を確かめ快楽を得る手段だけでも好きだけど、そこに意味が生まれるならもっといいわ」
「違います。それを目的みたいに言わないでいただきたい」
からかうようなマナ・リアンノ(
tk5914)の言葉に憤慨する博士。
「‥‥コモンクルスも、遥か昔は女性から産まれたのだという話は、私も耳にした事はあるわ。動物達もそのようにして産まれているし、現に私達の仲間であるアルメリアンやナーガも、AOSを介さずとも命を繋いでいる‥‥」
「ナーガも、AOSを介さずに生まれるのですか? かの種族については大学府もほとんど知識が‥‥いえ、失礼。続きを」
またそっちに話を持っていくのか、と一瞬身構えかけた博士だが、パシフローラ・ヒューエ(
ta6651)の言葉に知的好奇心を刺激されて身を乗り出し、周りの視線に気づいて咳払いをする。
「もしコモンクルスの今のかたちが本来とは違っているのなら、博士たちのお気持ちもわかるわ‥‥私は、メル様は一方的にどちらかを抹消する事で世界の平穏を保とうとするお方ではないと思うわ‥‥きちんと、一度メル様とお話をするべきよ」
「そうでしょうか? 天竜宮は、海洋性モンスターの住まうフロストアイランドに気候変動を引き起こし、南アルメリアでは知的植物たちの拠り所であるブラン塊を奪取、北アルメリアでは知性をもつ昆虫群を絶滅させたと聞いています‥‥非コモンに対するメル様の処遇は一貫して厳しいものでした。私たち三賢者派は‥‥私たちが手を加えたコモンクルスを、メル様がそのように扱うのではないかと危惧したのです」
地上に生きるものにとって、天竜宮は遙か空の上のお伽噺に近い存在だ。その主であるメルについても。
メルがコモンの保護以外について冷淡な‥‥というよりも無関心な部分があるのは間違いなく、タウザー博士の挙げた例も見方を変えれば、ある程度、事実ではある。
怖れは、識らないことから始まる。
重苦しい空気を破ったのは、小さなシフールだった。
「ネーちゃんつかまったー だめー でもネーちゃん にげるー つかまらなーい」
ふわり、と飛び上がったネー(
tj2543)は羽根を羽ばたかせて窓へと向かう。咄嗟に異形が手を伸ばすが、慌てて博士は制止した。
「ダメです、潰してしまう!」
「ネーちゃんはやーい つかまらなーい」
飛んでいってしまったシフールを見送った博士は、弁解するように言う。
「‥‥羽根まで一緒に縛ったら、折れてしまいそうで‥‥昆虫の羽根は繊細なんです。シフールの羽根も昆虫のそれにそっくりでしたから、その」
◆あるいは、一つの分岐点
マゴニア遺跡の一画に、それはあった。
大地に突き立った一本の柱‥‥いや、杖か。斜めに傾いだ赤黒いそれに次々とロープがかけられ、奇妙な形状のフロートシップがゆっくりと引き抜く。丸い窪みに円筒形のシリンダーが次々と装填されていくのをじっと見つめていたオランド研究員は、忍び寄る存在に気づき、舌打ちする。
「だから殺しておくべきだと言ったのだ。邪魔になる前に」
「闇の住人と手を組んででも研究を続けたいとは‥‥研究者というのは時に度し難い存在となるのだな」
研究員に、アーク・レイクウッド(
ta0476)は冷ややかな言葉を浴びせる。
「正直、個人的にマゴニアも新たな生命とやらにも興味がないが、闇の住人と組む者に死以外の未来などないと知れ」
視線は倒れている仲間たちに向けられる。
カナタ・ミツルギ(
tb6087)とマグノリア・バイブル(
ti8081)、リン・コンルゥ(
tf7157)。いずれも幾多の戦いをくぐり抜けてきた歴戦のドラグナーだ。戦技と魔法を使いこなし、徒手であってもフェイアで戦うことができたカナタと、アースアーマーをはじめとした堅牢堅守のマグノリア。水のルミナ使いらしく武器を持たずともローレライとセイブルで様々な状況に対応する柔軟性と持久力に長けたリン。攻防に優れたドラグナーを、たとえカオスアイテムの類いを所持していたとしても、研究者が倒してのけたと? アークは疑問に目を細める。
いずれも単独での行動を選び、先行したドラグナーたちだ。それを可能とする実力もあったはず。
「――気をつけろ、おそらく瘴気だ。ともすれば合身封印かもしれん」
武具を奪われたドラグナーたちはルミナの加護が落ちている。闇の住人の持つ瘴気に対抗できるのは精霊の加護のみ。普段の彼女たちならばあるいは魔法による防護がなくとも問題としなかったかもしれないが――
アーシェ・フォルクロア(
tj5365)の警告に、笑い声が弾ける。
「いや、いや。気づかれる前に処理できるかと思ったんだが。そうも上手くはいかないか」
ぱん。ぱん。ぱん。
黒い鎧に身を包み、頭部に山羊のような角を持つ美しい青年が、長くうねる緑色の髪を揺らしながら手を叩く。ライネック。謀略を得意とする魔将。
妻であるナヴィ・アルティシア(
tj5711)は海中に身を潜めており、この場には居合わせていない。アーシェにとってはそれが幸いだった。装備の加護がない今、魔将クラスのデュルガーが放つ瘴気に対抗できる者などいるのか?
「一度、装備を取り戻すべきだ」
「おやおや、行ってしまうのか。なら、暇はこのお嬢さんたちで潰すとしよう。ルミナ使いの血肉は我々にとってのご馳走だが、ドラグナーともなればまた格別だろう!」
撤退を促すアーシェに、ロキは弄ぶように体験の切っ先をカナタの首筋に当てる。
「そうだな。アーシェは急いで武器を持ってくるようにデュークを急かしてくれ。俺はこのデュルガーの相手をしていよう」
アークの言葉に愉快そうに笑うロキだが、アークが十足ほどの距離まで踏み行ってくるとその笑みを引っ込めた。確実に魔将を取り巻く瘴気のただ中にあって、アークは悠然と立つ。
「‥‥どうしてこの男は意識を失わない」
「ああ、ついでにその魔法兵器は没収させてもらう。アーク・レイクウッドがコモンヘイムは滅ぶべしと判断した際にそこそこ使える戦力になりそうなのでな」
オランドの問いにロキは探るような視線を向け、アークは意にも介さず告げる。
「へぇ! 武具に宿ったルミナの力も借りずに、その身に宿した精霊の力だけで瘴気に耐えるのか! 面白いな! なんならコモンヘイムの半分を焼いてみるかね? そこのオランド研究員とも利害が一致しそうだぞ?」
「それを決めるのは俺だ。お前ごときではない」
精霊合身したアークが存在した場所を、ロキの大剣とオランドの切っ先が貫く。皮膜の翼を広げたアークを追ってロキも宙に飛び、オランドはマゴニア様式のフロートシップに駆ける。もはや一刻の猶予もない。ポラール号を沈めねば――
◆奪還
「見つけた。あそこにあるみたい」
小さな丘から頭を出したキリア・クイーン(
tj3891)が声を潜めて仲間たちに伝える。
停泊しているポラール号の周囲には、仲間たちを捕らえた異形と似ているような似ていないような姿形をしたものが徘徊し、装備の奪還を試みるドラグナーたちを警戒しているように見えた。
「‥‥どうにも素人臭いというか、警戒のやり方を知らないようですね」
そこにはなにもいない。だがなにかがいるかもしれない。警戒とはそんな神経がすり切れるような集中力と異変の兆候を見逃さない知覚力を要する作業だ。その道に長けたマーリオン・シャッツィ(
tg0478)の目からすると、異形たちは『そこになにもいない』ことに満足してしまっている。それでは監視の目を逃れようとしているなにかを見つけることはできない。
「好都合ですわ。貴族の義務、果たさせて頂きます! たとえ剣なく杖なくとも私には貴き血と誇り、そして磨き上げた知略がある。今こそ我が知、冴え渡らせる時ですわ!」
小さな声でロージア・メルカトル(
tj1921)が意気を挙げる。
「我が夫ハラ様も雄々しく猛っているご様子、妻として負けていられませんわよ! 異形は個体ごとに違う能力がありますわ、注意あそばせ!」
能力は個体差が大きいことを彼女は見抜いており、仲間たちに警告する。
「敵勢を突破して武具を確保、返す刀で仲間達を救出し形勢を逆転する。正面から仕掛ける者は私に続け!」
精霊合身し、全身を長毛で覆ったキョウが鬨の声を上げる。徒手空拳であるが、その拳には揺らめくルミナが宿る。
キリアを背に乗せたクアナ・ウィトコ(
tj9401)が、砂を蹴立てて突撃を開始する。手にあるのは妻の背丈より多少は長い程度の木の棒。甲板上に陣取っていた異形の数体がクロスボウを射かけてくるが、レイヴンを成就し、ミサイルパーリングを駆使する彼はそれを捌き、あるいは我が身を持って止めた。射撃の間が空いた機を見計らい、仲間たちも次々とポラール号奪還のために動き出す。
「さァ来いよバケモノ共! 愉しい戦いを始めようぜェ!」
「かかってこいよ阿呆どもッ! オレが全部平らげてやるぜ!」
嬉しげに笑う戦士と、戦いの喜びに吠える人狼。どすどすと重い足音を立てて近づいてきた異形の振るう丸太のような拳をルミナシールドで逸らす。図体通りの重い一撃を支えた足が跳ね上がり――
「ハッハァ! どうしたどうしたァ、動きが鈍いンだよォ!」
脚刀からルミナが爆発する。哄笑しながらもツヴァイの目に侮りの色はなかった。仲間を無力化した毒や妙な能力を持つ相手で、今は身を鎧う装甲もない。不覚を取らないよう距離を取ってソードボンバーで叩く、発言とは裏腹に慎重で戦理に則った立ち回りとは違い、人狼の姿に変じたグレイは咆哮を上げ、獣の脚力で地を蹴って躍りかかる。
「死にてぇ奴から前に出ろや!」
異形を赤い瞳が睨み据え、振るわれる爪が砂浜に鮮血を散らす。獣の如く暴れ狂うグレイに誘われるように、ポラール号の甲板に立っていた異形も援護するためにか降りてくる。それを視界の端で捉えたグレイは牙を剥いて笑う(もっとも、同族でなければそれが笑みだとは思わないだろうが)。派手に暴れて見せているのは裏で動く仲間たちのための陽動の一つだ。
「悪いが容赦する気はない、邪魔をするなら死んでもらう」
精霊合身したイデアールが、上空から雨霰とソニックブームを降り注がせる。クロスボウを握った異形が矢を放ってくるが、彼女を包むストリュームフィールドはあらぬ方向へと矢を逸らす。
見れば、ポラール号の船上でも火が上がっていた。なんらかの手段でいち早く船上へと移動したものが気を引くために放火したものだろう。
「さて、皆を解放する前に船は押さえたいところよな」
手の中に集まる水が剣となり、ゾークの一振りが飛沫となって夜に散る。セイブルの魔法によって見た目の優雅さとは裏腹の『重さ』を得た一撃が異形を叩き、返す刀で間合いを詰めてきた一体を砂浜に沈める。ルミナの力で武器を作り出すことができる黒騎士を難敵と見たか、捕らえられかけた寝室で見た膨れあがったノミのような異形が避ける素振りも見せない彼に鋭い針を突き立てる。薄気味の悪い毒液を注入した奇妙な生き物は一回り縮み、牛でも数秒で体の自由を失うだけの麻痺毒を注入されたゾークを捕らえようと伸ばされた手を、水剣がすっぱりと断ち切る。
「毒は効かんよ。生憎な」
デッドオアアライブを使いこなす水のヴォルセルクにとって毒は害を為し得ない。退こうとした異形を上空からカームのソニックブームが押さえ、再び氷雪の飛沫が一閃。
「さっさと装備を返して貰わないとな」
倒れた異形に目もくれず、カームは小さく呟く。どうにも胸元が寂しい。この据わりの悪さをなんとかするためにも、ポラール号は奪還しなければ。
「見た目はアレだけど、スタンアタックは効くんだね」
離れた場所からシグルーン・ケーニギン(
tk5329)がソニックブームを放ち、クアナに打たれて弱ったところにソニックブームに乗せたスタンアタックを放っていたキリアが昏倒した異形の様子を確かめて言う。
「ええ、どうやら闇の住人などではなく、普通の生物の範疇に入るもののようです‥‥見た目は、とてもそうは見えませんが」
突き出された刃を両手で捉え、奪い取った短剣の柄で弱った異形の意識を刈り取ったシュウが同意する。
至近距離に踏み込んだキョウが、ほとんど密着状態から放つ不可視の拳撃。肉々しい異形の胴を打ち、水紋のように伝わる衝撃が波打つ。
「たとえ武器がなくとも、天の英雄が過ちを前に退くとは思わぬがいい!」
水面を駆け、甲板への渡し板の前に立ちはだかる異形に向けてルドヴィークはローレライを振るう。切り裂いた傷口を中心に体表面に霜が降りるが、なかなか動きは鈍らない。見かけ通りに耐久力や抵抗力は相応に高いのだろう。霊魂共鳴を警戒して遠距離から斬撃を振るう彼の横を、波を蹴立ててアナベル・ティア(
tk6659)が突進する。
混沌合身した彼女の体は鋼のように硬くなり、無造作に拳を振るう。
鋼の如き体はノミモドキの針を通さず、そもそもオートマタに普通の毒素が効くはずもない。強打されてもたじろぐことなく打ち合っていたアナベルの拳が何度目かにめり込んだ時、異形が石像と化す。成就されたカブキの効果だ。
「独走できればアークで一気に片付けられたんだけど‥‥仲間を巻き込まないように使うのは無理、か。なら正攻法でいくしかないかな‥‥ドラグナーっぽくね!」
あの異形が不可触民に近い存在であると考えたシズネは、アークによって生じる強力な瘴気で一気に無力化を図ろうと考えていたが、単独で接近することが叶わず、味方も瘴気に対する備えがない状況ではアークを使うこともできない。
甲板に上ると、ボヤを消火していた異形が振り返る。ルミナリィで暗闇での活動を苦にしないラキュエルが船上の灯りを頼りにホルスで転移し、ランプを割って火災を起こしていた。
振り返った異形に向けて燃えさかる炎の槍を向けたゲオルク・テスラカイト(
tk7770)は、静かな怒りをにじませた声で告げる。
「お前たちが持ってった俺の短剣さぁ、アレ父さんと母さんからもらったヤツなんだよなぁ‥‥だから、返せ。リベラも手伝ってくれよな」
「仕方ねぇなぁ‥‥オレ様はこう見えて強盗でパドマなんだぞ‥‥!」
しぶしぶ咆哮を上げ、インバルネラビリティを成就したリベラは魔的な体を得る。が、彼女自身は肉弾戦に長けているわけではない(ヴォルベルグだからといって、誰も彼もが敵を引き千切るのが得意というわけではないのだ。一般的なイメージに反して)。だから彼女の取った作戦は。
「バーカバーカ! 悔しかったら捕まえて見やがれこのオタンコナスども!」
異形に蹴りを入れたリベラは、罵倒しながら甲板上を走り回る。まともに食らえば骨の数本は持っていかれそうな異形の一撃がインバルネラビリティによって無力化されていることに安堵しながら、少しでも気を引こうと声を張り上げる。
「ハッ! オレ様を捉えられるかよノロマども! テメェらなんざ蹴り放題だぜオラオラ!」
フェイアの槍を握るゲオルクが、甲板上に上ってきたルドヴィークやシズネ、アナベルと共に大立ち回りを演じる中、夜陰と喧噪に紛れるものもあった。
ポラール号の投錨した鎖を伝って音もなく忍び寄ったデュークが、船倉に続く扉の前から動かずにいる異形の延髄へとミタマギリを成就した拳を振り下ろす。スタンアタックで意識が刈り取れずとも、精霊力を奪い取られれば昏倒は避けられない。
倒れた見張りの傍らを影のように音もなく、闇から闇へと伝い歩くマーリオンは滑るようにポラール号の船内に潜り込む。
空っぽの船室を改め、ドラグナーの突入に備えて守りを固めようと駆け回る異形の目に留まらぬよう小さな影に身を押し込め、奧へ、奧へ。
卓越した技量を持つ彼女でも、狭い船内で発見されないように動くことは難しい。ほんの小さな物音を聞きつけられたのか。それとも闇を見通す目を掠めたのか。異形の一体が探るように頭部とおぼしき部分を左右にねじりながらふらふらと彼女の通過してきた場所をゆっくり辿ってくる。彼女の武器は静粛性と隠密の技量、そして冷静さ。
暗闇の中の命を賭けた鬼ごっこ。
裏をかき、距離を離し、下層にたどり着いたマーリオンの手が無造作に転がされたそれに触れる。Xの印が刻まれた魔法の杖ばかりではない。ドラグナーから奪われた装備はひとまとめに放り込まれていた。
闇がまぶたを開いた。猫のように金色に輝く大きな瞳。
「――しまっ」
伸びてきた大きな手が、マーリオンを一掴みにする。ドラグナーが武器の奪還を目指すことを察し、先回りをする知恵がそれらにはあった。闇の中で追いつけなくとも、終着点が分かっているならば向こうからやってくるのだ。ひとしきりもがき、抜け出せないことを悟った彼女は暴れるのを止めた。
「すみませんが、お願いします」
それは一思いに殺せという懇願か。
異形はぐっと力を込め――背後から音もなく振るわれる、デュークの拳をまともに受けた。
◆決着
空中で、アークとロキが交錯する。
技量では勝るアークだが、ロキには手にした大剣がある。ルミナの力を宿した拳から放つソニックブームを避け、時に被弾を覚悟で突っ込んでくるライネックの刃が唸りを上げて彼を両断しようと迫る。無数に放たれるフェイントを織り交ぜた剣の軌跡を、一方的な防戦にありながら彼は百を超える乱撃を凌いで見せた。
アークの手に武器があれば魔将は霧と散っていただろう。だが彼は徒手空拳であり、またドラグナーとしての時間制限を負っていた。精霊合身に限りがあることを知っているロキは息つく暇もない攻撃に次ぐ攻撃で追い、精霊合身が途絶える瞬間を待つ。
「口だけは立派だが、ドラグナー一人倒せないのか」
魔法兵器に円筒形のシリンダーを装填させていたオランドは、夜空を見上げて舌打ちする。歯車はどこで狂ったのか。それとも、はじめから世界は滅ぶべくして滅ぶ道行きにあるのか‥‥そんな思いを破ったのは、マイペースなシャムロック・パストラーナ(
ta5458)の一言だった。
「いやー、私らとしたことが、とんだウカツでしたねー。とりあえず、あなたをぶん殴りたい気分ですよ」
「‥‥お前の夢では誰も助からないわ。目を覚まして。あいつはただのデュルガーよ」
魔法の指輪の加護を得るべく、アルマ・タロマティ(
tf9220)と結んでいた指を放したラプトゥーン・アベスト(
tc6518)は告げる。
「手と手を繋いで‥‥ちょっとロマンチックだったわね? でも、ここからはお仕事の時間かしら」
このドラグナーたちは武装している‥‥ポラール号の装備は奪還されたのだという事実にオランドは臍を噛む。魔法兵器はまだ発射できない。こうなれば、すべてを焼き尽くしてやろうか――破滅的な誘惑が意識を過ぎる。それが悪意あるたぶらかしだと気づくこともそれにはできない。
「キミが守りたいものはなんですか。それを間違えてはいけません。自分たちは先を見ることはできても、地上に続く時間に関わり続けることはできない‥‥点を置くことができても、転がし続けるのは地上で生きる皆さんの方です」
「だからこそ! 今! 誰かがやらなければならなかったのだ! このまま転がる時間の先は‥‥デュルヘイムに続く断崖だぞ! 方向を変えなければいけなかった! どんな手段を使っても!」
「しかしあのあなたたちの研究の目標って、要は『男と女が激しく前後する』ってやつでしょう?」
「男と女で子作りねぇ‥‥女同士の方がイイのに‥‥」
一歩足を踏み出したレイナス・フィゲリック(
tb7223)の言葉も、シャムロックとアルマの挑発も耳に入った様子はない。そして彼女はそれ以上待つことはしなかった。
「未来とか言ってるけど、結局は気持ち良くなる大義名分が欲しいんでしょう? 正直になれば?」
ラプトゥーンが仕掛けた瞬間、アルマはフレイムマジュを投ずる。マジュコントロールで操られたそれは真っ直ぐに遺跡の魔法装置へと向かい、そこで大爆発を起こした。
「武器を持ってきたよ‥‥って、ロキともうやり合ってるの!?」
夜の暗さに対応するために猫の姿に戻っていたクセル・クルヴァイト(
th5874)が、仲間たちの武器を抱えたまま目を丸くする。彼もまたロキと接触した経験を持つ一人だが、まさか武具の助けもなしに魔将とやり合えるものがいるのは予想外だったに違いない。
「まったくいつも無茶ばかり‥‥アーク!」
「アークお兄ちゃん!」
弟妹たちの投じたダーインスレイヴとハンドハンマーを宙で掴んだアークの一撃がロキの翼を半ばから断つ。
「ロキ‥‥口ほどにもない!」
「やれやれ、やはり裏方の方が性に合う。他人からあれこれと言われずに済むからな」
肩をすくめる魔将に、筆記用具を取り戻したマウリ・オズワルド(
ta4409)が語りかける。
「ロキとはいい名前だね。ユグドラシル神話の巨人でありながらアース神族に加担し、フェンリルやヨルムンガンド、ヘルを産みラグナレクの主力になる神の名だね。世界の終わりでも見せてくれるのかな?」
「お望みならば。とりあえず手近なところではあれなどどうかな?」
破壊され炎に包まれた魔法装置を示したロキが口元を歪め、マウリは素っ気なく応える。
「ライネックの弱点は頭部の角、翼、尾。すべて破壊して」
ホルスで瞬間転移してきたイルメラと共にオランドとやり合っていたラプトゥーンが一時身を離し、ロキに向かって言い捨てる。
「人にババを掴ませる享楽はさぞ面白いのでしょうね。でも、それも潮時よ」
「手こずってるなら、片付ける?」
「‥‥いいのが入った手応えはあったのだけど」
「先に裏切ったのはあっちだから。死んでもいいぐらいに殴ったんだけど」
銃身をさするアルマに、ラプトゥーンとイルメラは応える。オランドには数度、みぞおちや首筋に強烈な一撃を浴びせていたのだが意識を失う素振りもない。あるいは、手にした剣の作用か。
「‥‥人を造り変えて世界を救う。結局はオートマタやカオスゴーレムを量産した『黄昏』と同じなのよ、貴方たちは繰り返しているだけ。神秘に目が眩んで、頭までヤラれちゃってる。いい加減目を覚ましなさい」
「救わなければならないんだ! 変えなければ! 間に合わない! 間に合わなくなるんだぞ!」
「全力で殴り返してやりたいところだけど‥‥あの剣なんか嫌な感じだよねえ。ぶち壊すか押し倒しとく?」
白い槌を担いだナイトポーン・シャルド(
ti8440)の言葉にも、帰ってくるのは狂乱の言葉のみ。シャール・クロノワール(
tk5901)が発言とは裏腹の慎重な対処を計ろうとするが――それは叶わなかった。
「なにが目的か知らないけど、そういうプレイがしたいならデュルガー相手にデュルヘイムでヤりな!」
潜んでいた物陰から飛び出したルクスリア・モール(
tj1016)の成就した強力無比なドラグウッド。
文字通り爆発四散した研究員の最後を派手な目くらましにロキは羽ばたくが、それを許すドラグナーではない。
「カオスアイテムを使って人をたぶらかしてやがるクソ野郎‥‥! いつまでも好き勝手やってられると思うなよ!」
吠えたハヤト・ウルファング(
tk2627)の体が朝日のように燃え輝く。カムイによって神速を得たかれの拳が、蹴りが、マウリの告げた弱点を狙う。
角をへし折れられたロキが身をひねり、羽根と尾を庇う。
「貴様の暗躍もここまでだ‥‥斬って捨てる」
アイン・バーレイグ(
tk6291)の中に組み込まれたオートマタの機構が唸りを上げる。強化された筋力が振るう刀を支え、加速装置が産む速度をもって振るわれる四刀の一閃。羽根ごと腕の一本を切り落とし、返す刀が残る一本の角をへし折る。
「どなたか、浄化の手段をお持ちではありませんか!」
アインのバックアップに回っていたアリセア・リンドヴルム(
tk5624)が警告の声を上げる。浄化せねばデュルガーは時をかけて復活する。いつか蘇り、世界に再び悪意を振りまくだろう。
ハヤトが浄化の護符を握り、トドメを刺される前に霧散化しようとロキが首筋に刃を当てる。
「甘いな。そんな陳腐な手で逃れられるとでも思ったのか」
アークの握る浄化の力を持つダガーが、翼の付け根にねじ込まれる。口元に皮肉げな笑みを浮かべたロキは、最後になにかをたぶらかそうと唇を動かし、消え去る。
長い時の中、多くの人々の道を狂わせてきたデュルガーが葬られたことに安堵の息をつく――その暇もなく、ナグルファルが浮上する。魔法兵器を抱えたまま。
「チッ‥‥!」
アークを始め、空を飛べるもの、長距離射撃が可能なものが追撃をかける。魔法兵器を固定していた綱の幾つかが断たれ、バランスを崩したナグルファルはそのまま北氷海の嵐の中へと飲み込まれた。
その後の消息は、杳として知れない。
◆巨竜大決戦
「‥‥みんな、僕たちが寝ていた場所から動かされてないと思う」
鼻を効かせたジルヴァ・ヴェールズ(
tj8140)が、八割の確信でそう告げる。
クレンセントムーンで気配を絶ち、異形たちを避けつつ精霊合身で得られる動物並みの嗅覚で文字通り『嗅ぎ回った』彼だが、脱出に成功したドラグナーたちのもの以外、外に続く臭跡は感じ取れなかった。こういった場合、狙い澄ませた反撃を受けないよう場所を移すのが定石なのだが。
「こちらにとっては好都合だ。仲間を巻き込む心配をしないで済む」
ルタはそう言い、ハラ・マハーカーラ(
tk7252)はジルヴァに離れるよう身振りで示す。
「サテ‥‥俺が初手で動こウ。ミドルドラゴンが突っ込んで来られレバ、ヤツラも動かざルを得マイ。その隙ニ、仲間を助けて来イ」
咆哮を上げ、ハラの姿が巨大な地のミドルドラゴン‥‥クエイクドラゴンの姿へと変える。開戦の号砲とばかりに重力波のブレスをドゥーミン島にぶつけた巨竜は、異変に気づいて現れた異形に向かって吠える。
「シヴァの異名を名乗る者の力、十二分ニ味わウがイイ‥‥!」
「やれやれ、あまり傷つけたくはないのだが‥‥」
陽動となれば、あれぐらい派手でないと意味がないのかもしれない。ルタもまたバーニングドラゴンへと姿を変える‥‥本当は滑空しながら威圧するのが望ましかったのだが、異形の目を盗んで十分な高所まで移動できる確信を彼は持てなかった。ナーガは体格も大きいし、緑豊かな島の景観の中で彼の鱗は少々目立つ。
「我は無敵のクシャトリヤなり! 小癪なヒューマン、武器を奪った程度で我を止められると思うたかァ!」
囚われの場で竜へと身を変えていれば仲間を我が身の下敷きにしていただろう。屈辱を呑んで逃亡を選び、反撃の機会を選んだゼフィルス・シャード(
tk5811)は吠える。
「劣等なる異形ども! 我が前に平伏し、押し潰されるがよい!」
異形もドラグナーに対する備えはしていた。幾つかの魔法の武器。冷気を帯びた小刀や、雷光放つ小さな棍棒。通常の生き物であれば無力化させるのに十分な毒を注入する奇妙な生物。数は少ないが、銃も。
だが、それらは人間大の生き物に対する備えであって、決して巨大な竜に対する備えではない!
それでも異形は臆することなく、三つの巨竜へと挑みかかる。手にした武器を竜の鱗に突き立て、拳を振るい、あるいは毒液を注入するべく針を鱗と鱗の隙間に押し込もうと試みる。それらの幾つかは成功し、竜に血を流させることに成功したものもあった。
だが、その代償は結果に見合うものであったとは言いがたい。ハラの振るった尾が異形の巨体を横薙ぎにし、吹き飛んだそれは壁のシミへと姿を変えた。ゼフィルスは怒れる竜のごとく爪と牙を休みなく使って異形を引き裂き、倒れたそれを容赦なく踏み潰す。
威嚇はすれど積極的に加害を避けていたルタも、追い払うべく爪を使えばただでは済まない。
「‥‥うわぁ、建物が崩れないといいけど」
目の前で繰り広げられる竜の暴威に、思わずジルヴァがこぼす。そんな彼の鼻先に、すっ飛んできた一つの輝き。
「ネーちゃんみつけたー みんな、こっちこっちー」
「加勢は‥‥必要なさそうですね」
一度は銃を構えたシェーン・オズワルド(
ti5753)も、次々と異形を駆逐していく竜たちの暴れっぷりに筒先を下げる。
「とはいえ、竜の巨体では建物を崩さずに人質になった仲間たちを助けるのは難しいでしょう。降伏しないのであれば、私たちがなんとかしなければ」
魔法の杖を取り戻したレアが、仲間たちを促す。
「素直に降伏してくれればいいんだけど」
「‥‥見張りの方を動かせるか、試してみます」
精霊合身したラペーシュ・レルーネ(
tf6311)が、異形の心に触れるべく意識を集中する。
この異形がインドゥラで出会った不可触民たちと同じであれば、コモンクルスであるはずだ。そして、彼女の予想は間違っていなかった。
「扉を開けてください」
精神操作の影響を受けた異形はドラグナーたちの寝室としてあてがわれた建物の扉を開け、暴れ狂う竜たちの立てる地響きを背にそこへと飛び込んだ。
◆選択
「まあ、うん。それはいいとして」
どうしようもなく緊張の糸が切れてしまった空気の中、マーヤ・ワイエス(
ta0070)が切り出す。
「まず、今の研究はコモンクルスをコモンに戻す事であり、別の生物にする事はないか?」
「コモンクルスをコモンに戻すことが別の生物にするという事項に当てはまるのでなければ、そうです。我々はコモンクルスをコモンに戻すことによって、AOSから生じるカオスの発生を無くすことでコモンヘイムの破滅回避を行います」
「次に、拉致などの手段で人体実験をする事はないか?」
博士はちらり、と視線を異形へと向ける。異形は応えず、博士は幾分重い口ぶりで答えた。
「‥‥拉致によって被験体を集めることはありません。希望者は多くいますから」
「その異形、もしや」
「本人の希望によるものです。成功の可能性がほぼないことも承知の上で実験に臨みました」
「待って。闇の住人とか、『黄昏』の尖兵ってわけじゃないの?」
「ええ、彼らは三賢者派の同志です‥‥多くはインドゥラの人々ですが、生まれてくることができなかった子供たちの、得られたはずだった未来のために身を捧げた人もいます」
マナの疑問に博士が答え、幾人かのドラグナーが視線を交わす。エリシオン・クリスタロス(
tf2825)は異形戦力を差し向けてきた黒幕の存在を念頭にしていたが、それなら納得がいくと思い直す。無抵抗な状態のドラグナーを殺さなかったのも。性急で短絡的に過ぎる手段で目的を達成しようとしているのも。相応の理由があってのことなのだと。
‥‥同時に、コモンヘイムは我々の認識している以上に悪化しているのではないかという疑念も。
「最後に、生誕‥‥転生時の穢れ‥‥カオスについて対処の当てはあるのか?」
「AOSの構造的欠陥‥‥ソウルの浄化が行われていないことがコモンヘイムにカオスを蓄積させているという傍証があります。そちらの‥‥ココさんは疑問に思っているようですが、これを正しいサイクルに‥‥コモンの自然出産に戻すことでこれ以上の蓄積を避けられるのではないか、というのが我々の見解です。既にコモンヘイムに蓄積されたカオスについては浄化の目処が立っていませんが‥‥」
「そんな旨い話、あるものかねぇ」
勢い込んで語る博士に、エルマは疑問を投げかける。
「もちろん、検証は行わねばなりませんが」
「ふむ。ならば余はメル様に対して全力で説得に当たる事を宣言しようではないか」
「貴方がたの研究は興味深いものがあります、我らが天竜宮の主も同様の見解を示すでしょう。誤解なさっているようですが、メルは主義者ではありません。彼女は目的をこそ優先し手段は問いませんが、貴方がたの研究は手段として好意的に受け入れるでしょう。我々は協力できるはずです。目的は一つ、コモンとコモンヘイムの救世なのですから」
マーヤの賛同に、エリシオンも言葉を重ねる。
――地面が揺れる。耳を聾するような咆吼に、建物がびりびりと震える。ドゥーミン島にこんな騒ぎを起こす生き物はいない。いるとすれば、それは。
「黄金船と、彼らには、色々思うところがあるんだ」
そんな騒ぎも耳に入らないように、ヘルマン・ライネケ(
tj8139)は言う。博士の言葉で予想は確信に変わっていた。この異形もコモンであり、かつてヴォルト海で、あの新月の海で遭遇したものもまた、コモンだったのだと。
「ヴォルト海の怪物と呼ばれた女性と、その周りにいた生き物たちは、複数の生き物が混じったような姿で‥‥そこの君たちや不可触民を思い出す」
博士は小さく首肯する。
「胎で子を育む‥‥出来たところで、本当に解決するのか? 生み方でなくカオスが浄化できないのが問題だとすれば、博士の言うやり方では状況は変わらない。かつて浄化は女神の御業であったのではないかな。コモンが子を成せなくなったのは、女神ヘイルが御隠れになってからだ」
博士は答えない。
「インドゥラのように、誰かにカオスを押しつけるのか。その誰かが、自分の子孫になり得るとしても?」
「‥‥もはや押しつける先など、どこにもないとしたら?」
それは、不吉な示唆だった。
ある男は、それを『醒める事なき永劫不朽の夜(ジ・エンド)』と呼んだ。
その男は言った。『見よ、コモンはことごとく我の様に成り果てよう。全てが歪み混ざり合う混沌が支配する世界‥‥そこで存在を保てるのは、混沌を糧とし混沌に冒されることのない『混沌の傀儡(カオス・ゴーレム)』のみ』と。
「我々はもう縋るしかないのです。コモンに戻ることで、事態を好転しうるという希望に」
タウザー博士は、降伏を受け入れた。天竜宮の主メルに事態を説明し、研究存続を願い出る機会を得ることを条件に。
「準備は無駄になったか。まあ、丸く収まったなら上等だろう」
シグルーンの手を取って立ち上がったヴォルフラム・エルスタール(
tk2108)は固まった関節をほぐし、迎えに来た妻と娘にシーザー・クイーン(
ti5526)は労いの言葉をかける。
「早かったね」
ドラグナーたちに促され、歩き出した博士にヴァイスは声をかける。
「メルは‥‥聞く耳は持っている。本当にそれが救いと信じるならば所感を述べよ。目的の為に他者と論じるのは貴殿ら学者の本分だろう。‥‥今を憂いているのだろう? ならば、胸を張るべきだ」
「多種多様な愛の形はなくなるかもしれませんよ」
「愛の形とは言っていない」
彼の言葉に、博士は背筋を伸ばす。
「努力はしてみます。コモンヘイムの明日のために」
◆そして、一つの分岐点
遺跡から響く爆発音。上がる炎。そして、墜落と飛行の中間のような有様で嵐の中へと消えていくマゴニア式フロートシップ。
腕一杯に資料を抱えたパーゼン教授は、眼前に立ちはだかるセントールを見上げて嘆息する。
「‥‥これでお終いか。すまん‥‥すまん」
その悔悟は誰に向けられたものだったか。決着を待つように項垂れる教授に、ヴォーパル・ラファーガ(
tj9428)は語りかける。
「コモンクルスのコモン回帰‥‥世界が在るべき姿へと戻る時が来た‥‥」
信じられないものを見るような顔で、教授が高い位置にあるヴォーパルの顔を見上げる。
「教授‥‥俺は‥すべてが天然自然により巡る世界こそ‥‥在るべき正しき姿だと信じている‥‥コモンクルスを俺たちアルメリアンのように自然回帰させられるなら‥‥やり遂げてみせろ」
「だが‥‥ドラグナー。それを天竜宮が許すのか?」
「天竜宮がではない‥‥俺が‥‥それを願う‥‥」
困惑する教授の前に、もう一人のドラグナーが現れる。きびすを返したヴォーパルが前足で大地を掻き、もし遮るものあらば押し通るという決意を無言のうちに伝える。
「この馬鹿げた反乱を終わらせよう。『三賢者派』の研究こそ、メルの望む‥‥我らが選び得る未来の一つなのだから」
だが、ハルト・エレイソン(
ti5477)は武器を持たない両手を広げて応えた。
「信じる、私はそれを望む、コモンクルスがコモンと戻る事を。そして我らがそう答えるならメルもまたそう答えるだろう。彼女は女神教に反する事を否定するのではない、ただ善なるコモンと世界を害するモノを殲滅するのみ‥‥彼女は我らが未来を選ぶ日を待っている。コモンクルス、オートマタ、シーリー、種族など関係ない、善なる心を持ち世界を慈しむ『ヒト』が自らの手で進化し未来を選び取る事を。彼女もまたヒトでありそう在ろうとしている、神でも支配者でもなく、英雄たちの盟主としてな」
ハルトの言葉を熟慮し、背後で燃え上がるマゴニアの遺跡を振り返った教授はヴォーパルに抱えた資料を差し出す。
「‥‥すまんが、君。これをあの海岸まで届けてくれないか。コモンヘイムを救うために、この知識を待ち望んでいるものたちがいるのだ」
――それは、今まで見たゴーレムシップのどれとも似ていなかった。
帆はなく、甲板はなく、まるで水に浮かぶ種のようなその船上に立つのは、コモンの姿から逸脱した人々‥‥浅黒い肌をした、インドゥラの不可触民と同じ特徴を持つ人々。
硬い表情で見つめる人々に、ヴォーパルは宣言した。
「世界を正しき輪廻に‥‥それを願うゆえに‥‥教授の願いを預ける‥‥」
一抱えの資料‥‥マゴニアの知識、その断片を赤子のように抱えた人々は異形のゴーレムシップの中へと消え、かつて『ヂュルガァの黄金船』とも呼ばれた三賢者派のゴーレムシップ、クムダは氷原へと消えていく。
「ああっ、間に合わなかった‥‥!」
異形に追いかけ回されていたシヅキ・グリム(
tf1369)が悲しそうに耳を伏せる。辛うじて成就したシグナルフェザーは、その船が南へ南へと向かうことを三日、彼に教えたところで消えた。
「世界を‥‥再び正しき姿に‥‥」
その願いは、希望の芽を芽吹かせるだろうか。まだ、運命は応えない。
◆結末
「さて、天竜宮のぬし様。お耳を拝借させてくりゃれ?」
天竜宮に転送されてきたホロ・ロレンス(
tk8391)はメルに訴える。
「まぁ、ロキに唆された者はともかく、他の学者連中は悪人ではありんせん。しかも、学者としてのエキスパートと言っても過言ではありんせんよ。連中をここに迎え入れ、マゴニアから得られた情報を天竜宮で研究させては? マゴニアを悪用しないように、こちらで見張れば良かろうて。それにな、あの技術は破壊するには惜しい。コモンがコモンとして生きることが出来るかもしれんからの。オートマタをコモンに戻すことも、もしかしたらヴォルベルグの呪いすらも打ち消せるかもの。だから、考えてくりゃれ?」
「マーヤに、ハルトに、おぬし。陳状は受け取ったのじゃ。わらわはそれを認めるつもりでもおる」
ホロの言葉に、メルは硬い表情で首肯する。もう少し押し問答があるかと思ったホロは安堵すると同時に、首をかしげる。
「なら、どうしてそんな難しい顔をしておるのじゃろうな。笑えばよいではありんせんか」
言うべきか、言わぬべきか‥‥そんな沈黙の時間を経て、メルは口を開く。
「わからぬか? ‥‥『マゴニアは滅びた』のじゃぞ」
ホロが退出した執務室で、メルは報告書に目を通す。
『三賢者派』のバルドゥル・タウザー博士とキース・パーゼン教授は(スカイタートルたちの監視のもと、という制限付きながら)マゴニア文明由来技術のスペシャリストとして務めるとなった。
その研究が実るとは、メルは考えていなかったが、今は一つでも多くの希望が欲しい。
懸念があるとすればロキが言うところのナグルファル――マゴニア様式のフロートシップの行方だが、これもそれほど深刻な問題だとは捉えていなかった。ドゥーミン島からの離脱までは確認されているが、間違いなく極寒の嵐の中で分解、墜落しただろう。フロートシップで通えぬ場所だからこそ、ポラール号が必要とされたのだ。
「――レーヴァティンはいずことも知れぬ海の底か‥‥じゃが、それでよかったのかもしれぬ」
◆女神は遠く、世界は軋み
吐く息が白く煙る。
スラヴォにもほど近いポルスカの寒村で聖務に励む聖職者の老人は、かじかむ両手を擦り合わせながら聖堂へと急ぐ。
今年は特に寒い。年老いた体に染みいるような冬の空気に体の節々は痛むが、深いしわで覆われた司祭の顔は苦しみにしかめられてはいなかった。
「司祭様、まだ夜が明けたばかりですよ。さすがに気が早すぎます」
「イヴァンとハンナはこの日を楽しみにしていたからな。早く取り上げてやらんと」
喜びで顔をくしゃくしゃにした司祭は、生あくびを噛み殺すシスターを急かすようにしながら祭壇の安置された聖堂に向かう。
アルターオブスタプナー。
それはコモンヘイムを支える授かりの祭壇。新たなコモンが生を受ける、命と命を繋ぐ神聖な儀式の場。コモンが自ら命を育むことができなくなってから500年以上。誕生の秘蹟は、人々に命と希望を与えてきたもの。
祭壇から授かった新たな命を抱き上げようとしたシスターが、声もなく崩れ落ちる。
「シスター! 一体どうしたというのだね!?」
駆け寄った老司祭が目を剥く。震える喉から漏れたのは、新たな命を祝福する洗礼の言葉ではなく、救いを求める祈りだった。
「‥‥おぉ‥‥なんたることだ‥‥神よ、導きたまえ‥‥」
聖堂に、慟哭と母を求める赤子の声だけがこだまする。
――両親には、ただ死産として伝えられた。
教会で起きた、小さな、だが痛ましい悲劇‥‥
それは初めて起きた悲劇ではなく、そして最後の悲劇でもない。これから増え続けていく『死産』、その一つに過ぎなかったのだ。